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「進工舍」とは
1970年に“点鬼簿”入りした舎主の実父が、生前経営していた家業の屋号。 戦前につくられた木造二階建て家屋を改装して、50年代初期に創業。事業の最盛期には、本業とはまったく無縁の、名も無き「アナキスト」の活動拠点としても、多くの人間が出入りしていた。 両親没後は、さまざまな曲折をへて、住む人もないまま放置されていたが、今世紀に入って解体・撤去されついに消失。 このブログは、今はないこの舎(やど)を通り過ぎた人びとを偲びつつ、「新たなアナキズム」の可能性について、極私的につづるもの。 (なお、「舎」でなく「舍」がもとの字) (最新記事は、ページトップのブログタイトルをクリック) 進工舍・別館もあります。 ◇舎主おすすめのサイト ・アナキズムFAQ ・アナキズム図書室 幸徳・大杉・啄木…… ・「父」 金子ふみ子 『何が私を…』(抄) 青空文庫 ・アナキズム文献センター ・竹中英太郎記念館 「英太郎と労」父子の個人資料館 ・リベラル21 ・声なき声の会 検索
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アナゴンこと、舎主の口車に誘われてか、どなたかのご案内か、はたまた、たまたまの奇縁なのか、なんとも知るすべはありませんが、ともあれ弊舎へのお越しを心から歓迎いたします。
ここにつづるのは、主として「アナキズム」、および「少数に宿る真理」について。いつまで続けられるか舎主にもわかりませんが、拙文のどれかがお気に召したなら幸いです。 なお、引用する文献等の中に、今日からすると差別的に思える表現が含まれていても、資料的価値や時代背景等を考慮しそのままとしています。どうかご容赦を。 また、この「まえがきに…」も含め、過去の記事内容は、気がむけば文意を変えずに加筆・修正することがあります。その節はあしからず。 ご意見等は各記事のコメント欄へご自由にどうぞ。非公開の設定として、舎主あてのメール代わりにもお使いください。 ※通常の記事は、この稿以降に書いています(最新記事は、最上部のブログタイトルをクリック)。 左のメニュー欄上部にある画像は、大正時代のアナキスト・金子文子(かねこ ふみこ)が、幼少の一時期を過ごした村の周辺風景で、2007年10月に舎主が写しました(画像クリックで拡大)。場所は、山梨県の牧丘町杣口(そまぐち)(旧・諏訪村、現・山梨市)です。眼下に広がるのはブドウ畑。この地には彼女の実母の生家があり、現在、その庭の一隅には文子の歌碑が建てられています。 文子は、自身のことを「ニヒリズム運動家」であると宣言していましたが、舎主は、反権力・自由平等主義者としての、アナキストのひとりと考えています。ちなみに、彼女がこの世に生をうけた地は、神奈川県の横浜市。その後、山梨・朝鮮・浜松・東京などに移り住みました。 1903(明治36)年の1月25日が、文子の生誕の日です(歿年は、1926年)。 これまで左の写真の女性が「朴烈・文子事件」の当事者・金子文子だと認識されてきましたが、それは誤り(同姓同名の別人の写真)です。その理由を以下の拙稿で述べています。⇒ [Vol.1・Vol.2](金子文子については、ここと、こちらの記事もご笑覧を。また、左のメニュー欄か、この稿の下にある アナキストたち のタグをクリックすれば、それ以外の関連記事を示します)
◆『太陽を盗んだ男』(東宝)
1979年に公開された、147分の長編映画。数日前にDVDを買って観たのだが、Y・Tにはどなたかの手で全編がupされている。⇒別館。 「太陽」とは、プルトニウム型原爆のこと。ちょっと荒唐無稽なところもあるけれど、映画の魔力に憑かれたような人びとによってつくられた、邦画らしくない出来映えに感心。とくにエンディング。 増えた本は新書と文庫。 ◆たくきよしみつ 『3・11後を生きるきみたちへ 福島からのメッセージ』(岩波ジュニア新書)2012 ◇和田春樹 『北朝鮮現代史』(岩波新書)2012 ◆桜井智恵子 『子どもの声を社会へ 子どもオンブズの挑戦』(岩波新書)2012 ◇ウェルズ/池 央耿 訳 『タイムマシン』(光文社古典新訳文庫)2012 ◆田中信尚 『ルポ 良心と義務 「日の丸・君が代」に抗う人びと』(岩波新書)2012
◆E・ハーバート・ノーマン/大窪愿二 訳 『忘れられた思想家 安藤昌益のこと(上・下)』(岩波新書)2008
![]() 初版は1950年の発行で、4年前にアンコール復刊された23刷を入手。旧漢字のままなので相当に読みにくくはあるが、上巻をようやく読了する。 多少なりともアナキズムや社会主義に、あるいは、人権というものの本質について関心をもつ人間には、必読の文献と言っていいかもしれない。 単にエキセントリックなだけではない昌益の思想の斬新さは、かぎりなく非日本人的研究者にしか理解されてこなかったように思う。この本が書かれてから60年以上経った今もなお。 で、すこしだけメモしておく。 ⇒ cf. 多くの社会批評家がそうであるように、昌益は、かつて過去のはっきりしない時代に、人類が支配階級というものに束縛されず自由平等に天真な生活を営んでいた理想社会があったと信じていた。かれの見るところでは、人間社会は太古の純朴な状態からあまりにかけはなれてしまったので、いまでは階級闘争に苦しめられ、貧富の甚しい懸隔に引き裂かれ、それが経済競争を起し、はては暴力を生み出すにいたっていた。日本では、かくして、社会的に何かの有用な機能を果すような取柄の全くない武士階級が発生した。儒者や僧侶は道徳的、精神的に社会を毒するものであり、武士階級は民衆を抑圧するものであった。そこで、日本の儒教正統派の学者が営々と築き上げた思想――社会は階層的序列の積み重ねであり、各階層は夫々あるべきところが定まっているから、上に立ち温情を持って下を保護し支配する者を下の者は尊敬しこれに従うべきであるという思想に、昌益は戦を挑んだのであった。(略) ほかに、きょうまでに買ったもの、読んだものなど。 ◆『朝日ジャーナル わたしたちと原発』(朝日新聞出版)2012-03-09発売 ◇小田 実 『オモニ太平記』(講談社文芸文庫)2009 ◆辺見 庸 『瓦礫の中から言葉を わたしの〈死者〉へ』(NHK出版新書)2012 ◆今尾恵介 監修 『日本鉄道旅行地図帳 東日本大震災の記録』(新潮「旅」ムック)2011 被害を受けた鉄道全路線を網羅した記録。本としても貴重だが、特設サイトに掲載されている動画や写真もかなり見応えがある。 ◆安野光雅 編 『ちくま哲学の森 4 いのちの書』(ちくま文庫)2011 ◇竹中労/かわぐちかいじ 『黒旗水滸伝 大正地獄篇 一』(皓星社)2012 ◇竹中労/かわぐちかいじ 『黒旗水滸伝 大正地獄篇 二』(皓星社)2012 12年ぶりに新装版として復刊。上下2巻だったものがそれぞれ二分割され、全4巻になった。軽くなって寝ころんで読むには好都合。一冊あたり1200円という価格設定も良心的。 でも、竹中英太郎の表紙絵が採用されなくなったのはすこぶる残念。竹中家との間に何かあったのかな? 中身が初版本とまったく同じなのは少し物足りない気も。続刊に期待しよう。 ◆外村 大 『朝鮮人強制連行』(岩波新書)2012 ◆千葉悦子・松野光伸 『飯舘村は負けない 土と人の未来のために』(岩波新書)2012 ◇成田龍一 『近現代日本史と歴史学 書き替えられてきた過去』(中公新書)2012 ◆徐京植 『フクシマを歩いて ディアスポラの眼から』(毎日新聞社)2012 ◆鶴見俊輔・加藤典洋・黒川 創 『日米交換船』(新潮社)2006 安藤昌益、ハーバート・ノーマン、鶴見俊輔…。これら「アナキストたち」の連関を思うと、やはり粛然とした気分にさせられる。 ◆柄谷行人 『政治と思想 1960-2011』(平凡社ライブラリー)2012
ともかく、あしたで一年・・・。
大津波によって壊滅的な被害を受けた地のひとつ、宮城県南三陸町。震災からひと月後に撮影されたという町の風景をあらためてみつめた。 撮影者は、南三陸(旧志津川町)に生まれ育ち、『こども東北学』の著者でもある山内明美さんそのひと。 そして、『世界 4月号』への寄稿、「〈東北〉が、はじまりの場所になればいい」から。 震災のあと、はじめて父の声を聞けたのは、一週間後だった。いつ途切れるともわからない不安定な携帯電話の回線の向こうで、やっと、「元気だ」と聞こえた。消防団の副団長をしている父は、巨大な地震のあと、水門を閉めに海へ向かった。地震が起きた時に水門を閉めるのが、副団長の役割だったからだ。港の手前で、津波が町を襲うなか、父は消防士に助けられたのだった。「なんとか生きのこったんだ」と父は言った。そして、「俺を助けた消防士一〇人のうち、九人が死んでしまった」と言った。言葉を失った。生き残った一人は、雪の降りしきる冷たい海を一晩中泳いで、二〇キロ先の対岸に辿り着いた。奇跡の生還だった。津波のあと、わたしが一番最初に聞いた、あの日の話。世界で起こりうる、あらゆる壮絶が、あの日、三陸を襲ったのだと思った。(p.83)2ページ目のここまで読んで、しばらく先に進めなくなった。圧倒的事実のまえには立ちすくむしかない――。けれど、それでも、「はじまりの場所」は、ここと定めるしかないのだ。 買ったのは新刊5冊。 ◆畑中章宏 『柳田国男と今和次郎 災害に向き合う民俗学』(平凡社新書)2011 ◆KAWADE道の手帖 『大杉栄 日本で最も自由だった男』(河出書房新社)2012 ◆外岡秀俊 『3・11 複合被災』(岩波新書)2012 ◆岩波書店 『世界 4月号』特集:悲しもう・・・ 東日本大震災・原発災害 1年 ◆アーニー・ガンダーセン/岡崎玲子 訳 『福島第一原発――真相と展望』(集英社新書)2012 毎日新聞に掲載された、山内さんを含む被災三県出身の識者による鼎談も必読。 ⇒〈上・下〉
きょうは閏日。寿命を一日延ばしてもらったような、オマケのようなもうけもののような日。
こんな日はいつも後回しにしている、本来なすべき本業に身を入れるべきなのだろうけど、目覚めてみれば窓の外は一面の銀世界。積雪は10センチ程度か。これ幸いと予定は屋内作業にあっさり変更。しかし、夕方過ぎにかかってきた電話で、以前就職の相談を受けていた女性の、面接結果が思わしくなかったことを知らされる。本人もショックだったろうが、九分通り大丈夫だと思っていたこっちもガックリ。つくづく求人と求職のマッチングはムツカシイことを実感。なんとかしてあげねば…。 このひと月あまりで買って読んだものを、まとめてメモ。 ◆徐京植 『過ぎ去らない人々 難民の世紀の墓碑銘』(影書房)2001 図書館で借りて読んだのだけれど、金子文子について書かれたものは持っていたい。でも、使われている文子の写真は、例の同名異人のもの…。 ◆森まゆみ 『断髪のモダンガール 42人の大正快女伝』(文春文庫)2010 42人を網羅的に並べてあるだけではなく、それぞれの関係性にまで踏み込んで書いているので、全体としての物語性は高い。やはり、ここでも文子の肖像は例の…。 ◆後藤政志 『「原発をつくった」から言えること』(クレヨンハウス・ブックレット)2011 時の人のひとり、元格納容器設計者・後藤氏による原子力への悔恨と警鐘。 ◆カタログハウス 『通販生活 2012 春号』2012 頒価180円の、(脱原子力を標榜する)堂々たる論壇誌。 ◆柳美里 『雨と夢のあとに』(角川文庫)2008 ◆渡辺京二/小川哲生 編 『民衆という幻像 渡辺京二コレクション2 民衆論』(ちくま学芸文庫)2011 ◆徐京植 『中学生の質問箱 在日朝鮮人ってどんなひと?』(平凡社)2012 日本人にはとても書けないだろう歴史の真実を突きつけてくれる。著者のような人がこの国の同時代人であるというのは誇るべきこと。 ◆小倉紀蔵 『心で知る、韓国』(岩波現代文庫)2012 柳美里の『ピョンヤンの夏休み』に触発されて。この島国の未来は、やっぱりきちんと隣国に目を向けない限り開けないのは確かだ。 ◆『文藝春秋』2012年三月号 芥川賞発表号 『共喰い』を読みたくて買う。女性選考委員の評価が高かったというのはうなずける。「共喰い」にされたのは、結局父と息子。女は強し。 ◆外岡秀俊 『震災と原発 国家の過ち 文学で読み解く「3・11」』(朝日新書)2012 為政者は、どれほど強大で偉そうにみえても、しょせんは額に汗して真面目に働く「直耕」の人々に寄生し、その稼ぎの上前をはねているにすぎない。庶民を武力で抑えつける武士階級も、人々に服従や諦めを説く聖人たちも、よくよく考えれば、自分では働かず、ただ人々が育てた穀を貪っているにすぎない。上に立つ人間は、父が子に対するように、下にいる人々を、頑是ない無知な子どもとして扱う。その鉄則は「拠らしむべし、知らしむべからず」である。そうして仁を施すように、もともとは人々が丹精こめて育て収穫した作物を、さも物惜しげに下げ渡す。(p.121)東北の思想家・安藤昌益(元祖アナキスト?)の書を引いての印象的なフレーズ。まさに然り。現代の、どこぞの「寄生虫」にも聞かせてやりたし。 ⇒ cf. ◆山内明美 『こども東北学』(イースト・プレス)2011「よりみちパン!セ」新シリーズの一冊。76年生まれの若い研究者による「東北学」入門。著者は、津波による壊滅的被害を受けた宮城県南三陸町の出身。この本には、今度の震災を考えるうえで、こどもに限らずだれもが読むべき大切なことが書かれている、と思う。 文中に登場する、著者の同級生だった「タケシくん」のその後がとても気になったので、山内さんに直接問い合わせてみた。すると、彼は無事で、家も津波の被害から免れ、仕事も元気で続けているとのこと。ホッとした。訊いてみてよかった。 ⇒ cf. ◆前泊博盛 監修 『本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知っていること 沖縄・米軍基地観光ガイド』(書籍情報社)2011 ツイッターで知った本。オールカラーの350頁で、なんと1,300円! 掘り出し物。 ◆E・ハーバート・ノーマン/大窪愿二 訳 『忘れられた思想家 安藤昌益のこと 上』(岩波新書)1950-2008 23刷 ◆E・ハーバート・ノーマン/大窪愿二 訳 『忘れられた思想家 安藤昌益のこと 下』(岩波新書)1950-2008 21刷 山内さんの『こども東北学』や、外岡氏の『震災と原発 国家の過ち』に出てくる、東北の生んだ稀代の思想家・安藤昌益。彼を再発見したカナダ人研究者によって、なんと60年以上も前に書かれた本。旧漢字のオンパレードで読みにくいことこの上ないが、すこぶる面白そうではある。 ◆井上治代 『より良く死ぬ日のために』(理論社)2010 「よりみちパン!セ」シリーズの一冊。版元はイース・プレスに移ったが、これは理論社版のほう。主として仏教における死生観と葬送の疑問を取り上げ、一つの解釈(答えではない)を示すもの。 ◆内澤旬子 『飼い喰い 三匹の豚とわたし』(岩波書店)2012 『世界』連載の「問題作」がようやく単行本に。 図書館で借りて読んだもの。 ◆赤坂憲雄・小熊英二・山内明美 『「東北」再生』(イースト・プレス)2011 図書館からは月に10冊ほどは借りてくる。すべて読み切れるわけじゃないが、なかでも震災を受けて企画された、公開の場での鼎談をまとめたこの本は出色のもの。早く読んでおくべきだったと後悔。
罰当たりの薄情者と謗られるだろうが、42年目にもなると、その日が過ぎ去ってから、ああそうだったのだと気づくこともある。
1月12日は父の祥月命日だった。 あの日の記憶として残るのは、雪の降り積もった病院の、離れのようにつくられていた霊安室で迎えた朝の奇妙なまでの静けさ。2歳下の妹の、烈しく慟哭していた姿もよみがえる。 当時十代の、少年のわたしが、親の一人が消えてなくなるということの意味をどれだけわが身で自覚できていたか。今思えば、実に心許無いものだったというしかない。 春になったら、墓参することにしよう、 南無――。 買ったのは4冊。 ![]() ◆柳 美里 『ピョンヤンの夏休み わたしが見た「北朝鮮」』(講談社)2011 彼女の熱心な読者というわけではなかったが、ひさびさに新刊を買う。 ◆加藤典洋 『3.11 死に神に突き飛ばされる』(岩波書店)2011 「3.11の死に神」に狙われているのは、老い先短い年配者ではなく、生まれて日の浅い者、これから生まれ出る人々なのだという現実に対する、悲哀と自責。 ◇鶴見俊輔・小田 実 『オリジンから考える』(岩波書店)2011 90歳になる哲学者と、今は亡き稀有の活動家との架空対話を収める、不思議な本。 ◆高木仁三郎 『原発事故はなぜくりかえすのか』(岩波新書)2000 12刷 先駆者は常に孤独。そして、生き急ぐことを強いられるのか。
作家の柳美里(ユウ ミリ)さんが、福島県・南相馬市の新成人へ贈ったはなむけのメッセージ全文を書き起こしました。 (2012年1月8日、南相馬災害FM局にて放送されたものです)
成人おめでとうございます。 ご本人による朗読音声は、南相馬災害FM放送の公式サイト(トップページ"Program")で聴くことができます。(2012年1月8日放送の前半部分。開始1分12秒過ぎから、約5分間) 年があらたまってから買って読んだ本は2冊。◆岩波書店 『世界 2012-2月号』特集:民主主義の再興を! ◆渡部良三 『歌集 小さな抵抗 殺戮を拒んだ日本兵』(岩波現代文庫)2011 「生きのびよ獣にならず生きて帰れこの酷きこといい伝うべく」 著者はキリスト教の信仰者で、今年90歳に…。
TVからはNo.9の終楽章の演奏が聴こえてくる。波乱の一年もあとわずか。いつもの年ならばそれなりに懐くはずの達成感も、新年を迎えるという高揚感も、まるで味わうことのない年の暮れ。希望はどこに。
今年最後のブログ記事は、すっかり放ってあった過去のツイートを少し編集して再録しておこう。 もう地球に暮らしていること自体、嫌気が差してきた今日この頃……。そろそろ、旅立ちのための身支度を始めなくてはならないか。その前に、買いためた本はどれも一遍は読んでおかなくちゃな。 書簡文で、冠省とセットになるのが、不一。でも、不二と書いてもよいのだ。 すべてを中心へ、ではなく、あらゆる「権力」は周縁へ分散させなくては必ず腐敗するということ。巨大事故や人的災害の多発はそれと無縁ではあるまい。何も、成長に向けてやみくもに突っ走る隣国に限った話ではない。 勝てば富が手に入る、快楽追求のためには勝つしかない、という、行き過ぎた勝利至上主義の先に何があるのか。敗者の悲哀など考えたこともない、目的を失ってひたすら突進する暴走列車の行く末は、軌道上からの転落あるのみ。 線量測定機サマによるお墨付きなしでは、国内産のどんな高級食材も、食えず、飲めず、さわれずの、超管理社会出現。この先それは何十年も続くのか。 学ぶことをやめ、成長の途絶えたリーダーは、何よりも、成長し続ける「民」を疎ましく思うはず。 "Boys, be ambitious!"に続くクラークのことば、"Like this old man"。 先のフレーズはだれでも言えるが、後の言葉を吐けるオトナがどれだけいるか。 適度な運動ならともかく、だいたいにおいて、ハイスピードを競うスポーツはカラダに良くない。著名なプロスポーツ選手で長生きした人間をあまり知らない。現代のメジャースポーツは、どれもどこかアブノーマル。 極端なハードスポーツは健康に有害です。ほんとうはスポーツを商売にすべきではありません。並外れた成功願望やビジネス指向が悲劇を生んでいます。となれば、それをするのは純粋に楽しいからという、“兼業”女子サッカー選手にはとても共感できます。 人間とは、生物としての“異常進化の果て”なのか。快楽追求のためには死の恐怖さえ思考の外へ追いやられる。性にしても、富の獲得にしても、原子力(核)開発にしても。すべてを破壊しつくさないかぎり、それは終わらない。足るを知らない人間ばかりで、地上は窒息寸前。 原子力開発=核の平和利用。この常套句は完全に地に堕ちた。核技術は、政治利用やビジネス利用によって人間の物欲を満たすことが可能だとしても、世界の平和を創造したり進展させたりすることは決してできないのだから。 上意下達が大好きの、およそガキ大将並みのオツムの御仁。なのに「学級委員」どころか「生徒会長」に選ばれたくてうずうずしている身のほど知らず。コンプレックスの裏返しでしかないルサンチマンむき出しの言説の貧しさよ。 こんな著名人を知っているとか、その家族と親しいとか、権威的存在におもねることでわが身の特別性を演出したがる人物。自分がいかに小物であるかを自分自身で喧伝しているようで、ナンダカ哀れ。 原爆の投下、大気中での核実験。これらによって爆発的に拡散される放射性物質のことを、かつてなら「死の灰」と呼んでだれもが怖れた。でも、それとまったく同じものなのに、今はなぜか人もメディアもそうは言わない。海に山に田に畑に、そして校庭にも降り注いだのは、まさに「死を招く灰」なのに。 【繁栄を極めたローマ帝国が、なぜ衰亡したのか。さまざまな要因が挙げられるが、その一側面として「財政の破綻」があった。軍団への多大な出費。贅沢に慣れた特権階層は、ひとたび味わった享楽や利益を手放さず、内部の改革が進まなかった。“上”が堕落し、享楽にふける──そうなったら危ない】→ →【ローマの敵は常にその懐中に──暴帝と軍人とに──あった。】(エドワード・ギボン/村山勇三訳 『ローマ帝国衰亡史(1)』岩波文庫)今、ローマ帝国とはどこか。暴帝・軍人とはだれのことなのか。あまりに分かりやすい警句。 上野千鶴子東大教授の最終講義から:【「祈り」とは、此岸で果たせない望みを、彼岸に託す願い。祈りは無力な者の最後の営み。】われわれは無力か。“此岸”にあって望みを叶えるため死力を尽くした果てにできることとは何か。だが、まだ尽くしたとまではいえない。 わが身の無力を悲観するなら、最後にではなく、はじめから(神仏に)すがるだろう。だが、それを「祈り」というだろうか。自力とはなにか。他力とは何か。両者はまったく相容れないものなのか。自力を引き出す祈りと他力に恃む祈り。“自他彼此の心”なき祈りが、真の祈りなのだと信じたい。 人が厖大な蓄財を成し遂げたとき、次に考えるのは、どうやってそれを保全するかということだけ。そのためには権力に接近し彼らを取り込むことが早道。金持ちケンカせず、だ。富になびかない人間は一人としていないから。純粋なテロリストを除いて。 福島を最終処分地(=核廃棄物の墓場)にはしないという大臣発言。では、「ふくいち」の途方もない量の残骸はいったいどこへ。所詮時間稼ぎの、任期内限定の気休め放言。 常に勝ち続ける人生などあるわけがない。一生の内で勝負がかかる場面などもそうはない。また、勝負時のすべてで勝てる人間などもいやしない。勝つことより、負けた後のリカバリー能力をいかに身につけるかが生きるための極意。どんな結果が出ても勝ったことにしてしまう無邪気なだけの人とは付き合いたくない。 成長はとっくに停止している。否、衰退への坂道を転がり始めて久しい。それを食い止めるための戦略・戦術はほとんど考えられていない。体制の存続維持が彼らに課せられた絶対命題なのに。だが、奴隷はいつまでも盲目ではいない。外に目を向けない閉鎖集団は、縮小均衡どころか窒息死するしかない。 目的は内在された思想の流布にあった。強固な利権構造をもった疑似国家的共同体をつくることなどではなかった。そうではあっても、われわれは騙されていたとの言い訳は許されない。仮に悪意はなかったにしても、共犯関係のもとで意志的に行為したことは確かなのだから。 1日1回転しながら1年かけて地球は太陽の周りをめぐる。そして太陽自身も、地球その他の惑星を引き連れて銀河系内を猛スピードで航行している。確か一周するには2億年ぐらいかかったはず。さらに銀河系自体、途方もない速度で宇宙を突き進む。この世界には一瞬たりとて同じ位置にとどまるものは、ない。 「美は乱調にあり諧調は偽りなり」…大杉栄。「諧調とは“中央集権”なり」…竹中労。「乱調の美とは“楊梅桃李”(=櫻梅桃李)の乱舞なり」…AG。 「限りなき時と空とのただなかに小さきものの何を争ふ」 「いと小さき国に生まれて小さき身を小さき望みに捧げけるかな」(管野スガ・1911年) 【「『さばかりの事に死ぬるや』 『さばかりの事に生きるや』 よせよせ問答」 啄木の忘れられぬ歌の一つです。さやふ! 理屈抜き、共に元気で生きませう。何時か土に帰る身ながら。 雨降る日 ふみ子】(金子文子、獄中から同志にあてた書簡。1925年6月) 赤黄色緑空色澱む青 染まりし郷に誰ぞ向かわん……AG 新聞掲載の「汚染地図」を見て。今後、好きこのんで福島県のの右半分に足を踏み入れようとする人間などいるのだろうか。 魚は頭から腐る。腐ってしまった頭を切り落とす包丁は、当の魚には振るえない。 ノブレス・オブリージュとは貴族だけの規範ではあるまい。アナキスト金子文子が同志と一緒に伝単を貼って歩いた帰り道、夜泣きうどんを食うためのなけなしの二十銭すべてを、橋のたもとにうずくまる女乞食に手渡したというのも、まさにそれ。(瀬戸内晴美『余白の春』) 高貴な人間であるかどうかは、いわゆる階級とはまったく関係がない。「貧せざれば鈍す」という坂口安吾の“自家製のことわざ”(鶴見俊輔語録 『この九十年』)が、胸に沁みる。
12月23日は、は義弟が亡くなって12年目となる命日だった。仏教的習俗にのっとれば、13回忌と呼ばれる節目の日。
故人の連れ合いと子供たち、新たに増えた家族、ごく近しい人びとなどが集って、ささやかながらいちおうのセレモニーを挙行することに。義弟の勤めていた元職場の同僚だったN氏も、変わらずの厚情を懐いて駆けつけてくれた。 12年前の99年に逝った彼は、2001年の「9.11」という誰もがおぞましく思う出来事も、当然ながら今年の「3.11」に起こった大災厄も知るはずはない。いまとなっては、そのふたつを経験することなく終えた彼の人生が、むしろ幸運なことのように思えなくもない。今この時に生きる、自分も含めた人間の業のようなもののやるせなさについてふと考えてしまった。 帰り道の首都高速。港区芝公園付近にさしかかったとき、かのスカイツリーが視界に飛び込んできた。10Km以上は離れた地点にあるはずなのに、周囲の高層ビルを従えるようにそびえ立つ600m超の巨大建造物は、圧倒的な存在感を放って見るものを威圧する。とにかく際立つ異様さは東京タワーの比ではない。車を運転しながらだから、凝視することも写真に撮ることもままならなかったが、少なくとも、もっと近寄って見上げてみたいという気にさせるシロモノではまったくなかった。 このクニは、いったいどこに進もうとしているのだろう。 きょうまでに仕入れた本。 ◆『AERA ’12年日本経済総予測』(朝日新聞出版)2011-12-26号 今井一氏による、「現代の肖像」(小出裕章助教・取材レポート)を読む。 ◆鶴見俊輔 編・解説 『ちくま哲学の森 3 悪の哲学』(ちくま文庫)2011 ◆徳田雄洋 『震災と情報 あのとき何が伝わったか』(岩波新書)2011 ◇阿部 彩 『弱者の居場所がない社会 貧困・格差と社会的包摂』(講談社現代新書)2011 ◇高木仁三郎 『プルトニウムの恐怖』(岩波新書)1981 2011 25刷
きょうの朝日新聞「Voice 声」のページ。その、「若い世代」欄に載っていた小学生・Oくんの投書。
おかあさんおもい、おとうとおもいのかれは、とてもこまっています。かえしてあげてください。 ぼくの自てん車をかえして ![]() ◆毎日小学生新聞 編/森 達也 著 『「僕のお父さんは東電の社員です」』(現代書館)2011 この国の未来は子どもたちに決めてもらうほうがいいと思う。森達也のやさしさにも共感。 ◆雨宮処凛 『14歳からの原発問題』(河出書房新社)2011 これも、ただ単に少年少女向けの入門書なのではない。雨宮女史が、6人の“当事者”(専門家)に、ほとんどの大人も知らなかった、でも、誰もが知りたかった疑問をぶつけた、みんなが読むべき本。 そのほか、チョムスキー本などを。 ◆ノーム・チョムスキー/木下ちがや 訳 『チョムスキーの「アナキズム論」』(明石書店)2009 ◆『週刊金曜日 874号:雨宮処凛責任編集』(金曜日)2011-12-02号 ◆飯田哲也 『エネルギー進化論 「第4の革命」が日本を変える』(ちくま新書)2011 ◆岩波書店 『世界 1月号』特集:原発 全面停止への道 ◆鈴木邦男 『【人と思考の軌跡】 竹中 労 左右を越境するアナーキスト』(河出ブックス)2011
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