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「進工舍」とは
1970年に“点鬼簿”入りした舎主の実父が、生前経営していた家業の屋号。
戦前につくられた木造二階建て家屋を改装して、50年代前半に創業。事業の最盛期には、本業とはまったく無縁の、名も無き「アナキスト」の活動拠点としても、多くの人間が出入りしていた。 両親没後は、曲折をへて住む人もないまま放置されていたが、今世紀に入って解体・撤去されついに消失。 このブログは、今はないこの舎(やど)を通り過ぎた人びとを偲びつつ、「新たなアナキズム」の可能性について、極私的につづるもの。 (なお、「舎」ではなく「舍」が正式名称) (最新記事の表示は、ページトップのブログタイトルをクリック) ・進工舍・別館もあります。 ・ana_gon(進工舍の次男坊)(舎主のツイッター) ◇舎主おすすめのサイト ・アナキズムFAQ ・アナキズム図書室 幸徳・大杉・啄木 etc. ・「父」 金子文子 『何が私をこうさせたか』(部分) 青空文庫 ・朴烈義士記念館 朴烈とその妻・金子文子を顕彰する韓国の施設(ハングル表記) ・アナキズム文献センター ・竹中英太郎記念館 「英太郎と労」父子の個人資料館 ・リベラル21 ・声なき声の会 ・マガジン9 ・九条の会 ・侵攻社の少年 カテゴリ
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◆竹中 労 『聞書 庶民烈伝 牧口常三郎とその時代 〔上〕』 (三一書房) 2008-06
原著は、「最後の無頼派アナキスト・竹中労」(1930-1991)が、1983年4月号から1986年11月号までの足掛け4年にわたって月刊『潮』誌上に連載し、並行してその単行本が、同出版社から全4巻のルポルタージュとして順次刊行されたもの。それが上・下2巻にまとめられ、20数年ぶりに復刊されることになった。 当初は7、8年前に、やはり竹中の『黒旗水滸伝』を刊行した皓星社から復刻されるはずだったのが(当時のメルマガ)、いつの間にか立ち消えとなり、なぜか三一書房から出ることに。 それからも何度か発売日は延期され、昨年の6月末になってようやく上巻が登場。しかし、さらに一年近くが経とうというのに、下巻には未だお目にかかれない。 この本には、アナゴンとしても実は思い入れがある。それは2年余り前に、地元の図書館で何気なく“黒っぽい本”を渉猟していた時、今では古書としてもプレミアムがついていて、入手の難しいこのシリーズ全巻を偶然発見したことに始まる。 26年前の連載開始時は、竹中ファンの一人として、はじめは毎月『潮』を買って読んでいた。だがその頃は、悲しいかな、独特の文体が簡単には読みこなせず、結局中途で放り出してしまい、単行本も買わずじまいだったのだ。 以来、四半世紀ぶりに再び邂逅したこの大作を、今度は腹をすえて読みだしたのだが、いやもう、あらためて竹中節の名調子に圧倒され、一気に全巻を読破させられてしまった。そして大いに後悔した。なぜ初版刊行当時に買い置かなかったのかと。 それからは、何とか再版が果たされることを願って、某掲示板上に、せっせとそのエッセンスを書き連ねてもきた。そしてついに昨年、ほんとうに復刊が現実となったのだ。 たまたまアナゴンがこの本と再会したとき、復刊計画も同時に進行していたのだろうけど、不思議な縁を感じたものだった(だけど、他社から出るというのは、潮出版社はこの本を「焚書」扱いにしたってことか?)。 この大著は、創価(教育)学会創始者たる牧口常三郎(まきぐち・つねさぶろう 1871-1944)の、単なる一代記というのではない。「この国、とりわけて明治・大正・昭和三代、転変する歴史の底辺をけん命に、名もなく生きた庶民にとって、宗教とは何か・何であったのかを、私は明らかにしたい」と、まえがきで竹中が語るように、牧口常三郎と、戦前戦後の創価学会草創期を生きた庶民群像を背景に、これまでほとんど語られることのなかった明治以降・三代の民衆史を縦横につむぎ、壮大な叙事詩として織りなす竹中流の営為なのだ。 掛け値なく、竹中労畢生の大作であり、新潟・佐渡・北海道・東北・東京・甲斐・九州と、牧口の足跡を自らがもれなく踏査し、学会関係者には限らない、多方面の人びとの珠玉のごとき証言と、彼独特の嗅覚によって収集された膨大な文献・史料を元に書かれた、文字通りの“労作”。現在、同じ『潮』に長期連載中の『池田大作の軌跡』(無署名の伝記風ルポ)などよりも、はるかに資料的かつ文学的価値は高い、と思う(描かれている人物の評価にはあらず。為念)。 1982年後半。竹中は、頼まれてもいない“学会の助っ人”を買って出て、当時、異常なまでに反復された“反創価学会キャンペーン”の胡散臭さを撃つ論考を、(学会系月刊誌たる)『潮』に何回か寄稿した(幸洋出版 『仮面を剥ぐ』 に所収)。 以後、孤立無援の竹中には、当然のように、“金で買われた淫祀邪教の犬”だのと、中傷や罵詈雑言が浴びせられる。だが、彼は一向・意に介さない。そして(学会員)読者に向かって、切々と訴えるのだった。 たとえば、こう考えてほしい。「学会御用」とレッテルをはり、私をおとしめ孤立させる。それは、部落民・朝鮮人に対するのと等しく、創価学会員なべてを“特殊な”集団人として、恒民社会の外に隔離する差別の構造ではないのか、と。恒民とは一定の生業を有し、いわゆる法と秩序・公序良俗に従って生活する、“正常な人々”を指す。ならば、学会員絶対多数は、まぎれもない恒民である。しかるに差別され・蔑視され、理不尽に迫害されるのはなぜか?学会を母体として生まれた政党が、政権に取り込まれてから早や10年。日蓮や牧口常三郎の夢見た、そして無名・無告の庶民衆生が信じた“(常)寂光土”は、それによって眼前に迫りつつあるといえるか。まつろい・抗わぬ者は、「家庭の安全や名聞利得とひきかえの退転を迫られる」という竹中のつぶやきを、権力ゲームにうつつを抜かす現在の専従幹部や議員諸氏は、果たして聴いただろうか。国家・政府・官憲こそが、真の魔障、と喝破した彼の声は、虚空に消えてしまったのか。 現代の創価学会の最末席に縁を連ねるひとりとして、甦ったこの竹中の叫びに、もっとも縁を結んでほしい人びとが誰なのかは、あらためて言うまでもない。 それにしても三一書房サン。下巻はいつになったら読めるんでしょーか。早くしないと、“世紀の総選挙”が始まっちゃうと思うんだけど…。それと、文庫でもいいから、労サンの全集を出してくれる出版社はないものか知らん。 (竹中の生年を、1928年から1930年に訂正:2010-06)
by dra-wkw
| 2009-06-03 17:44
| 読書
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