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「進工舍」とは
1970年に“点鬼簿”入りした舎主の実父が、生前経営していた家業の屋号。
戦前につくられた木造二階建て家屋を改装して、50年代前半に創業。事業の最盛期には、本業とはまったく無縁の、名も無き「アナキスト」の活動拠点としても、多くの人間が出入りしていた。 両親没後は、曲折をへて住む人もないまま放置されていたが、今世紀に入って解体・撤去されついに消失。 このブログは、今はないこの舎(やど)を通り過ぎた人びとを偲びつつ、「新たなアナキズム」の可能性について、極私的につづるもの。 (なお、「舎」ではなく「舍」が正式名称) (最新記事の表示は、ページトップのブログタイトルをクリック) ・進工舍・別館もあります。 ・ana_gon(進工舍の次男坊)(舎主のツイッター) ◇舎主おすすめのサイト ・アナキズムFAQ ・アナキズム図書室 幸徳・大杉・啄木 etc. ・「父」 金子文子 『何が私をこうさせたか』(部分) 青空文庫 ・朴烈義士記念館 朴烈とその妻・金子文子を顕彰する韓国の施設(ハングル表記) ・アナキズム文献センター ・竹中英太郎記念館 「英太郎と労」父子の個人資料館 ・リベラル21 ・声なき声の会 ・マガジン9 ・九条の会 ・侵攻社の少年 カテゴリ
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去年の暮れから今年にかけてツイートしたモノローグを、いちおうメモしておく。
国会議員・地方議員を問わず、定数を削減しろという声はよく聞くが、議員報酬を減らせという声は少ない。議員の数が減るということは、結果的に多様な意見・少数意見が圧殺されるということ。定数削減をあまり考える必要はない。 報酬を徹底して減らせばいい。わが市の議員などはロクな仕事もせずに(議会出席は正味2ヵ月)、政務調査費を含めて2千万もの年俸を得ている。半分でもいいくらいだ。なぜみんな沈黙しているのか。 議員定数への関心に比べ、報酬に対する疑問の声がさほど上がらないのは、ほとんど実態が知られていないからではないか。国会のみならず、各自治体のWebサイトには公開されているので、まずはそれを知ることから。参考データ(但し、期末手当の記載はなし) 運動の中心勢力は、当初20代や30代の青年群だった。それがいつからか40代以降の女性たちにとって代わり、このごろはリタイアした年金生活者にまで依存せざるをえなくなった。つまり世代間代謝が機能していないということだ。これではジリ貧は免れない。これは特定の運動体だけの話ではない。 どんなに説得力ある話も、賛同者のあいだだけで叫んでいたって何の慰めにもならない。“革命家”を志すなら表へ出ろ! 敵陣に突っ込め! 骨ぐらいは拾ってやる(先人談)。 純真で善良な人間を子分とみなして意のままに操りながら、状況が変わると手の平を反したように、実はオレもだまされていたんだ、と他に責任転嫁して恥じない卑劣漢。そういう卑怯者の跳梁を許してきた無邪気な“奴隷”たちにも、一端の罪はあるな…。 詩人のたまわく。【生活と教理の両方を最も腐敗させると思われる書物、しかもおびただしい数のこれらを禁止すれば、学問と論議するすべての能力が必ずや低下します。これらの書物はどんな種類のものでも学問ある人に最も多くはやく感染し、彼らが一般の人に異端あるいは自堕落なものを伝えます。】1- 【悪い習慣は書物がなくても多くの仕方で身につくものです。しかし悪い教義は書物があっても教師の指導がなければひろまりませんが、教師は書物によらなくても、口頭でひろげることができます。書物を禁止してもどうにもなりません。……検閲の悪だくみは無益であり、実施は不可能であります。】2- 【ユーモア好きの人ならこの企てを、鳥を閉じ込めるには庭の門を閉めればよいと考えた「利口者」の手柄にたとえずにはいられない、と断言せざるをえません。】ミルトン 『言論・出版の自由』(岩波文庫 p.33)。検閲大好き老人衆よ、聞いてるか? -3 森達也 著『A3』入手。A、A2は映像だった。でもA3は500頁超の大冊。4分の1ほどを読む。今に続く何かが“このとき”に始まったのは確か。でも事件全体が審らかになったわけじゃない。本来一番に語るべき宗教者は、十分に語ってきたといえるか。首謀者らを葬り去ることで終わらせていいのか。 【被害妄想と正義の幻想に囚われた共同体は、内部結束を強めながら自分たちにとっての「悪」を攻撃する。でも危機意識は決して充足しない。エスカレートするばかりだ。】(『A3』p.265)・「共同体」とは何を意味するか。結局、事件の当事者は「不運」だっただけ、で終わるのか。 無差別通り魔事件再び。「自分の人生を終わりにしたかった」――。それが自決することになるか、他者への暴力に向かうのかは、当事者にとってさほどの違いはないのだろう。自己承認を求める切実さと、方法論の不条理さ。死者をつくらなかったのは何よりだが、狂人の仕業ということだけで済ませられるか。 北朝鮮メディアのニュースを、日本のメディアが日本語に吹き替えて報道するとき、どうしてみな絶叫調の話しぶりになるのか。同じハングル圏でも韓国メディアの吹き替えとは明らかに扱いが違う。オイラは違和感を持つが、ハングルをよく知る人は変に思わないのだろうか。 軍人(自衛隊員)・政治家・宗教家…。これらを職業人とさせてはならない。必ず堕落して利権追求に奔るから。長くても3×4年=12年ぐらいの任期制にしなければダメだ。大企業と化したメディア従事者も同様。 人間とはつくづく因業な生きものよ。口蹄疫にせよ鳥インフルエンザにせよ、見つければたちどころに「殺処分」とやらで一網打尽に抹殺する。人間がインフルエンザに感染すれば何としてでも治療しようとするのに…。まったく罪深い所業。 “ここ”において、思考停止の「シンパ」ではなく、反抗・対立だけの「アンチ」でもない、「カウンター」(対抗&近接)という両義性を秘めた哲学の構築は可能なのか。それが困難であれば未来は暗い…。(本橋哲也 編 『格闘する思想』を読んで思ったこと) 「京都新聞」新里記者のつづる、あまりにまっとうな「正論」。 【大陸からの強い寒気が下がって 今夜半 冷え込みます▼夕方遅く降りだした雪は明日も かなり強く降るでしょう▼昨日ついた足跡も みんなみんな包んで……】(中島みゆき 「サッポロSNOWY」) …涙を負けん気なジョークに代えて…。ことしもあと少し。 ニッポンのような、成熟した(≒成長の止まった)過密社会で暮らす構成員に求められるのは、常に周囲の空気を読んで行動する処世術。横並びを嫌う個性ある人間や、欧米系でない外国人などはまっさきに排除の対象にされる。この国のあらゆる集団が、陰湿なイジメ社会へと変貌するこのごろ。 「主人」のいちばんの望みは、奴隷が奴隷のままで永遠に再生産されること。たとえ反逆者が現れても「悪魔」のレッテルを貼って追放するだけ。代わりはいくらでもいるから。絶対の信仰は究極の恋情に等しい。奴隷であることに喜びを感じる思考停止の「善人」がいるかぎり、八方は丸く収まる。 「主人」とは特定の個人を意味するわけではない。現代の主人は、教義・制度・法律などのスマートな名を冠していることが普通。実像は見えにくいほうが、権力遂行者には好都合。そして、じつは奴隷にとっても…。よってメデタシメデタシ。 「カリスマふう」の周囲には、三種の人間がいる。カリスマふうの権勢に隠れ、利を貪ることに専念する“蝙蝠”人。幻影のようなカリスマふうの庇護を期待して、すすんで蝙蝠の命令に付き従う善人たち。そして、そのどれとも交われない自由人・アナキストの孤愁…。 いまの「末法」は日露戦争に勝利した1905年に始まり、100年以上続いている――。鶴見俊輔著『かくれ佛教』に。国家に屈するような宗教は、仏教ではない。戦争に反対し、世襲を否定する哲学こそ「新仏教」にふさわしい――。すこぶる共感できる。だが、それはいまも残っているといえるか。 落ち着いて考えるなら、関東近辺にある大学の学生だけによる、オリンピックとも世界陸上とも関連しない、きわめてローカルな、2日をかけた往復200キロメートルにもおよぶ“エキデン”レース。正月限定の、あまりに日本的なイベント。 【「今年はどうなるか?」という質問をされるが、「今年はこういう年にする」と言う人は少ない。自分たちが社会をどうするかという視点が抜けている。】(辛淑玉女史) 義務教育の義務とは誰の義務か。権力を持つものの義務。国家や教育委員会には子どもを幸福にする義務がある。学校での「いじめ」などで、権力者の措置が子のためになっていないとき、その親は、身を挺してわが子を守る義務がある。社会の平和と安定は子どもの幸福から始まる。
by dra-wkw
| 2011-01-09 15:15
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