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「進工舍」とは
1970年に“点鬼簿”入りした舎主の実父が、生前経営していた家業の屋号。
戦前につくられた木造二階建て家屋を改装して、50年代前半に創業。事業の最盛期には、本業とはまったく無縁の、名も無き「アナキスト」の活動拠点としても、多くの人間が出入りしていた。 両親没後は、曲折をへて住む人もないまま放置されていたが、今世紀に入って解体・撤去されついに消失。 このブログは、今はないこの舎(やど)を通り過ぎた人びとを偲びつつ、「新たなアナキズム」の可能性について、極私的につづるもの。 (なお、「舎」ではなく「舍」が正式名称) (最新記事の表示は、ページトップのブログタイトルをクリック) ・進工舍・別館もあります。 ・ana_gon(進工舍の次男坊)(舎主のツイッター) ◇舎主おすすめのサイト ・アナキズムFAQ ・アナキズム図書室 幸徳・大杉・啄木 etc. ・「父」 金子文子 『何が私をこうさせたか』(部分) 青空文庫 ・朴烈義士記念館 朴烈とその妻・金子文子を顕彰する韓国の施設(ハングル表記) ・アナキズム文献センター ・竹中英太郎記念館 「英太郎と労」父子の個人資料館 ・リベラル21 ・声なき声の会 ・マガジン9 ・九条の会 ・侵攻社の少年 カテゴリ
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健在なる日本の知識人中、最高の読書家とアナゴンが勝手に評価する、哲学者・鶴見俊輔氏(1922~)。
なにしろ、小学生時代だけで一万冊(!)は読破したというから恐れ入る。 その氏の 『書評集成』 (みすず書房・全3巻)を、今、少しずつ読んでいる。 思想・哲学は無論、マンガ・児童書にいたるまで、ジャンルを問わぬ、良書(のエッセンス)の宝庫と思う。 その第3巻に、故・河合隼雄氏の 『昔話と日本人の心』 (現在、岩波現代文庫)が取り上げられている。 とても印象的な解説なので、一部を紹介したい。〔 〕内は、鶴見氏・解説文からの引用。 1982年初版の原書は、最近手に入った。 〔明治国家の出現以来、義務教育をとおして識字率は増した。しかし、その間に、他人の話をきく力はおとろえた。(略) まして、他人の言うことを心をこめてきくという習慣はおとろえ、聞く能力もおとろえている。 この同じ時代に、きく力の復活に傾倒した河合隼雄の仕事は、現在の日本文化の潮流を逆行する仕事であり、そのゆえに、はじめは小さく、しかしあとになって一つの大きな流れとなって注目されるにいたった。〕 (略) 〔ソ連の昔話研究家チストフは、日本の昔話「浦島太郎」を孫に読んでやったが、孫は興味を示さない。 「いつ、そいつと戦うの?」 とたずねたそうだ。孫は、英雄浦島と怪物竜王を期待しており、主人公が竜と戦わず、竜王の娘と結婚しない理由がわからずじまいだった。 河合隼雄の解説では、"Nothing has happened."(何もおこらなかった――虚無がのこされた)というところに、日本の物語の特色があるという。〕 「炭焼長者」の話(ごく大雑把に言えば、父親の意に沿った結婚と決別し、その後自ら選んだ夫との再婚後の人生に成功した妻の家に、貧しく落ちぶれた前の夫が現われるが、妻は決して邪険にせず、助け、下男として迎えようとさえする民話)を題材に、ユング心理学者たる河合氏は、「完全性」と「全体性」の対比を試み、そこから、独創的に日本の伝統規範を見出している。(以下、【 】内は、鶴見氏による『昔話――』からの引用部分。) 【現在の夫と、前夫と――下男という形ながら――同居することの難しさ。この点を不可能とみれば、女房の優しさにもかかわらず、前夫は死んでしまう(己の立場に恥じて自殺する。:アナゴン注)〔略〕ということになる。あるいは、その中間段階として、〔略〕死んだ男が守り神となる話が存在する、と考えられる。何とかして、この薄幸な男性を全体のなかに組みいれようと、日本の昔話は努力しているのである。】 このあと河合氏は、ユングを引き、 【完全性は欠点を、悪を排除することによって達成される。これに対して全体性は、むしろ悪をさえ受け容れることによって達成される。父権的意識は、ともすると完全性を目指そうとする。それは鋭い切断のはたらきによって、悪しきものを切り棄ててゆく。ところが、女性の意識は何ものをも取り入れて、全体性を目指そうとする。(中略)それは内部矛盾を許容しなくてはならない。】 と言い、また、 【全体性は、明確に把握しようとすれば、全体性を損ない、明確さを失うジレンマをもつ。全体性の神は、人間の意識のみによって明確に把握することは不可能である。】 とも述べている。(全文は、河合書・第9章「意志する女性」に。) 興味を覚えた方には両書をみていただくとして、この引用だけでも、いかにも示唆に富むものだ。 異質なるものの存在を許さない“完全性”は、徹底した管理社会の論理であり、その理想型は、上意下達・思考停止の軍隊組織だ。 現代のこの国にある組織は、その目的や規模の大小に関わらず、“女性性”を尊重するかのように装いながら、その実、中心部に近づけば近づくほど、概ね父権的意識に覆われているとはいえまいか。
by dra-wkw
| 2008-08-08 21:22
| 読書
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