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「進工舍」とは
1970年に“点鬼簿”入りした舎主の実父が、生前経営していた家業の屋号。
戦前につくられた木造二階建て家屋を改装して、50年代前半に創業。事業の最盛期には、本業とはまったく無縁の、名も無き「アナキスト」の活動拠点としても、多くの人間が出入りしていた。 両親没後は、曲折をへて住む人もないまま放置されていたが、今世紀に入って解体・撤去されついに消失。 このブログは、今はないこの舎(やど)を通り過ぎた人びとを偲びつつ、「新たなアナキズム」の可能性について、極私的につづるもの。 (なお、「舎」ではなく「舍」が正式名称) (最新記事の表示は、ページトップのブログタイトルをクリック) ・進工舍・別館もあります。 ・ana_gon(進工舍の次男坊)(舎主のツイッター) ◇舎主おすすめのサイト ・アナキズムFAQ ・アナキズム図書室 幸徳・大杉・啄木 etc. ・「父」 金子文子 『何が私をこうさせたか』(部分) 青空文庫 ・朴烈義士記念館 朴烈とその妻・金子文子を顕彰する韓国の施設(ハングル表記) ・アナキズム文献センター ・竹中英太郎記念館 「英太郎と労」父子の個人資料館 ・リベラル21 ・声なき声の会 ・マガジン9 ・九条の会 ・侵攻社の少年 カテゴリ
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吉野源三郎の『職業としての編集者』から、大事なところを読み落としていた。
「日の丸の話」(初出:1968年) 昭和14,5年頃・中日事変の最中、吉野は、陸軍の招きによる中国視察から帰国した岸田国士(※)と会談した。 岸田は、このとき、現地で見聞した軍民双方の日本人の横暴さや、独善性に憤慨し、大いに嘆いた。 吉野が、中国での、「暴支膺懲」という日本陸軍のスローガンの非道さに、三木清(※)もあきれていたという話をすると、岸田は同感して、知人のフランス人が日本人について語った言葉を紹介してくれたという。 吉野は、そのことを以下のように綴っている。 そのフランス人によると、日本の美術や武道に接して、いかにも日本人らしいなと感じ、また感心する点をふりかえってみると、たいてい、精神がある一点や、ある一瞬に「集中しきった」というふうのものだという。例えば、剣道の打ち込みとか、能における静から動へ移る瞬間とか、文学でいえば俳句のような短詩とかに、それがはっきり窺われる。それは、たしかにすばらしい。しかし、その反面に、いくつかの問題を精神に同時に受けとめて、これを抱えこんでゆくというようなことは、日本人には不得意なようだ。こういう可能性もあれば、ああいう可能性もある、というふうに多くの可能性を併立させ、複雑なものを複雑に考えてゆくことは、日本人には得手ではないようだ。――大体そんな趣旨で、そのフランス人は、「白地に唯一つ赤い丸を印した日本の国旗は、実によく日本人の特徴をあらわしている。」といったそうである。(下線は、アナ・ゴン。)これは、以前読んだ河合隼雄の本と比べてみると、対照的な話のようで興味深い。 河合は、日本の昔話が伝える、庶民生活における哲学・知恵を、大らかな包容力を備えた「全体性」としてとらえたが、一方、岸田のいうフランス人は、だれもが日本を象徴すると思って疑わない伝統文化に、軍国日本の危うい「完全性」をみたのかもしれない。 岸田の話を聞いた吉野は、それへの印象も次のようにいう。 純粋なもの、いさぎよいものを好むという傾向は、人間の行為に関しては動機の純不純だけを問題にして、その行為の客観的な責任を不問に附するということになりやすい。それは、すでに五・一五事件の被告や、二・二六事件の反乱軍将校に対する世論や裁判にもあらわれていた。また、空間的なものを没却した時間の純粋さを尊んで、精神のそのような集中だけを専ら問題にすれば、現実の問題の現実的な処理をめぐっての打算的考慮などは、まったく閑却されてしまう。実際には、恐ろしい精神主義や主観主義に陥らざるを得ない。それは、日本のファシズムの擡頭につれて、当時私たちが、いやというほど見せられていた眼前のことだった。そして、それが堕落すれば、鼻もちもならない独善になるのである。「日の丸が日本人の性格をよく象徴している」という、フランス人の批評は、婉曲にそこを衝いているのであった。今にしていえば、やがて、世界を敵に回す全面戦争への突入を目前にした、狂気の時代。 明治以降、欧米コンプレックスにとりつかれていた指導者層は、「行為の客観的な責任」などは、埒の外にあった。実体の不確かな、ゆがんだ精神主義(完全性)をよりどころとして、暴走の歯止めを失っていったのか。戦争は、どんな有能なエリートをも、視野狭窄に陥らせるのだろうか。 国家や政府の行く末など、平時の生活を営むためには、まったく眼中に置かない庶民の知恵に勝る平和戦略はないのかもしれない。 ※ きしだ・くにお(1890-1954)=劇作家・大政翼賛会文化部長。 ※ みき・きよし(1897-1945)=哲学者・作家。敗戦直後、釈放される前に獄中にて病死。
by dra-wkw
| 2008-08-21 17:13
| 読書
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