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「進工舍」とは
1970年に“点鬼簿”入りした舎主の実父が、生前経営していた家業の屋号。
戦前につくられた木造二階建て家屋を改装して、50年代前半に創業。事業の最盛期には、本業とはまったく無縁の、名も無き「アナキスト」の活動拠点としても、多くの人間が出入りしていた。 両親没後は、曲折をへて住む人もないまま放置されていたが、今世紀に入って解体・撤去されついに消失。 このブログは、今はないこの舎(やど)を通り過ぎた人びとを偲びつつ、「新たなアナキズム」の可能性について、極私的につづるもの。 (なお、「舎」ではなく「舍」が正式名称) (最新記事の表示は、ページトップのブログタイトルをクリック) ・進工舍・別館もあります。 ・ana_gon(進工舍の次男坊)(舎主のツイッター) ◇舎主おすすめのサイト ・アナキズムFAQ ・アナキズム図書室 幸徳・大杉・啄木 etc. ・「父」 金子文子 『何が私をこうさせたか』(部分) 青空文庫 ・朴烈義士記念館 朴烈とその妻・金子文子を顕彰する韓国の施設(ハングル表記) ・アナキズム文献センター ・竹中英太郎記念館 「英太郎と労」父子の個人資料館 ・リベラル21 ・声なき声の会 ・マガジン9 ・九条の会 ・侵攻社の少年 カテゴリ
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◆テッサ・モーリス-スズキ 『愛国心を考える』 (岩波ブックレット No.708) 2007-09
イギリス生まれで、オーストラリア在住の研究者が、愛国心をキーワードとして、近現代の日本とそれを取り巻く世界について語る。 この教授の経歴についてはよく知らないのだけど、名前を漢字で書くなら、「鉄鎖・森巣-鈴木」となるのかな? 余談はともかく、彼女の本を読むのは、『北朝鮮へのエクソダス』(朝日新聞社)以来。 この本は70ページほどの小冊子だが、中身はちっとも薄くない。 田中正造や違星北斗(いぼし・ほくと)や小林トミ、そして、現代に生きるインド系の移民三世でもあるアメリカ人学生ヴァレリー・カウアの、一見、何のつながりもないように見える4人の行動と思想を教材として、「国境を超える愛国心」の可能性と、「上からの愛国心」が醸し出す危険性を明らかにしている。 すべてのイメージと同様、「私の国」に対する愛国的なイメージにも肯定的な面と否定的な面がある。肯定的なイメージは、私たちに「私たちは誰なのか」や「私たちはどんな人間になりたいのか」を示してくれる。否定的なイメージの方は、「私たちはどんな人間でないか」や、どのような人々を私たちの共同体から排除すべきかを示す。否定的イメージは、必ずしも言語化されるわけではないが、常にそこに存在しており、たとえすぐには気づかなくても、注意して見つけ出さねばならない。愛国心は、私たちが特定の記号や音、人間関係に対して感じる自然な愛情を動員するだけでなく、私たちが、脅威を覚えたり、未知だったりするものに対して感じる自然な恐怖心や敵意を動員することが多い。(p.26) 愛国心は、宮崎駿のアニメに出てくるお化けに似ていると、私は思う。愛国心は姿を変える。それは大きな勇気と創造性の源として、人々を鼓舞するものであるが、同時に耐えがたいほど破壊的でもある。そうした理由から、愛国心を無条件に支持しないことも、無条件に非難しないことも、ともに重要である。代わりに私たちは、特定の形態の愛国心について、それらの場所や時間という文脈の中で理解し、私たちが愛国心から連想する感情を、どのようにして、生命を滅ぼす方向ではなく、生命を与える方向へと導いたらよいかを考える必要がある。(p.42) 愛国感情が容易に排他性やレイシズム(人種主義)に転じてしまうことが、世界の偉大な思想家たちを、愛国心の完全否定に向かわせてきた。たとえば、ロシアの文豪、レフ・トルストイ(1828-1910)は、「よい」愛国心や「健全な」愛国心が存在しうる可能性を否定した。唯一正当化できるイデオロギーは、人類全体に対する愛であると彼は考えた。こうした徹底した否定にもかかわらず、トルストイは今日、多くの人々から、ロシア文化を代表する人物の一人とみなされている。トルストイの例が示すように、自らを「非愛国的」と規定しながら、ある国に大きな貢献を果たすこともありうる。著者の言にしたがって、愛国心の「国」という部分を、一人ひとりが、それぞれの所属する会社・団体・地域社会などの共同体と置き換えてみるとき、それらに内在する醜悪さもまた浮き彫りになるだろう。そして、誰もが、そのことに常に自覚的でなくてはなるまい。 国家に限らず、この島国にある共同体のどれをとっても、構成員の帰属意識を高めるために、愛国心に潜む否定的側面を利用しがちな集団もないであろうから。
by dra-wkw
| 2009-04-03 13:02
| 読書
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