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「進工舍」とは
1970年に“点鬼簿”入りした舎主の実父が、生前経営していた家業の屋号。
戦前につくられた木造二階建て家屋を改装して、50年代前半に創業。事業の最盛期には、本業とはまったく無縁の、名も無き「アナキスト」の活動拠点としても、多くの人間が出入りしていた。 両親没後は、曲折をへて住む人もないまま放置されていたが、今世紀に入って解体・撤去されついに消失。 このブログは、今はないこの舎(やど)を通り過ぎた人びとを偲びつつ、「新たなアナキズム」の可能性について、極私的につづるもの。 (なお、「舎」ではなく「舍」が正式名称) (最新記事の表示は、ページトップのブログタイトルをクリック) ・進工舍・別館もあります。 ・ana_gon(進工舍の次男坊)(舎主のツイッター) ◇舎主おすすめのサイト ・アナキズムFAQ ・アナキズム図書室 幸徳・大杉・啄木 etc. ・「父」 金子文子 『何が私をこうさせたか』(部分) 青空文庫 ・朴烈義士記念館 朴烈とその妻・金子文子を顕彰する韓国の施設(ハングル表記) ・アナキズム文献センター ・竹中英太郎記念館 「英太郎と労」父子の個人資料館 ・リベラル21 ・声なき声の会 ・マガジン9 ・九条の会 ・侵攻社の少年 カテゴリ
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◆菊田幸一 『日本の刑務所』 (岩波新書) 2002-07
いつ・どこへ、ということは詳らかにできないが、「しごと」のからみで、某刑務所を訪問する羽目になり、先日、ある受刑者と面会するためにでかけてきた。 その受刑者がどんな罪を犯し、刑期がどの程度なのかも詳しくは知らず、面識はあるものの、アナゴンと縁戚関係にある人物でもない。殺人や強盗といった重大犯罪をしでかしたのではないらしいが。 当人がそこへ収監されてから、しばらくが経った平日のある日、通常業務を休んで車を走らせることに。最近取り付けたばかりのカーナビに、目的地を設定するため住所を入力しようするが受け付けてくれない。どうやら番地としては存在しないことになっているようだ。なるほどそこは「番外地」にはちがいない。仕方なく、すぐ近くの地点を指定して走り出すことにする。 数時間かかってようやく到着。入り口にある詰所で、申請書に記入し番号札を受け取る。そして、ロッカーに荷物を預けて面会者待合所へと向かう。 待合所のドアを開けると、先客が一人いた。30才前後と思しき、若いスリムな女性が所在無げにベンチに座っている。こちらも同じベンチに座る。 20分ほどすると案内放送で番号を呼ばれ、面会室へ入るよう促される。先客の女性は後回しにされたようだ。 三畳にも満たないほどの狭い空間。その真ん中を透明なアクリル板で隔ててある面会室に、生まれてはじめて入って待機する。イスに座った状態で胸の高さとなる位置に、上下20センチ幅ほどの、無数に穴の開いたパンチング・メタルが左右の壁まで渡してある。その上は天井までを厚手のアクリル板が、下は板壁が仕切っている。閉所恐怖症になりそうな狭さだ。 しばらくして向こう側のドアを開けて現れたのは、担当と思われる刑務官一人だけだった。 残念ながら、面会は許可しないという。刑務官の話す声が、くぐもって聞き取りにくい。 収監されたばかりの新入りには、簡単に面会など認めないとの態度がありありだ。用があるなら手紙を書けと言うばかり。件(くだん)の受刑者よりかなり年若いと思える刑務官が、本人の名前を口にするとき、その知人であるアナゴンに対しても、当然のごとく呼び捨てにすることに非常な違和感をもった。やっぱりここは、世間から隔絶されたまさに番外地なのだと、あらためて実感する。 100年以上も生き延びてきた「監獄法」が廃止され、2006年に「受刑者処遇法」として新たな法律ができた。それによって、刑務所での面会の要件も緩和され、配偶者や親族に限られていたものが、知人・友人であっても可能となったはずなのだが。権力の威厳を精一杯誇示するような刑務官の、けんもほろろな物言いには憮然となる。こっちは半日かけて車を飛ばして来たというのに。 だが、とにかくここは塀の中。弁護士でもないアナゴンとしてはこんな手合いとケンカをする気もない。ぜひとも会わなければ困るという「しごと」でもないので、あっさり引き下がることにする。結局10分足らずで面談を終え、差し入れだけを係員に託して帰途へついた。 帰ってきてから、別に探したわけではないのだが、たまたま冒頭に掲げた本と出合ったので読んでみた。 2002年に出されたものだから、旧監獄法下での刑務所の実情を書いたもの。 『女工哀歌』並み(?)の刑務作業賞与金の実態追究など、人権擁護の観点から、どちらかと言えば受刑者寄りの論旨となっている。でも、「おわりに」のなかのこれは、正論には違いないだろう。 刑務所収容を減らす努力は必要であるにしても、犯罪のない社会があり得ないと同時に、近い将来に刑務所がなくなることはあり得ない。その限りでは受刑者は存在し続け、さらにそのほとんどが、この社会に戻ってくる。この社会から自ら逃れたいと希望する人間がいることは、否定できない。しかしどのような生き様を自ら選ぶにせよ、罪を犯した人間をも人として扱うべきことは当然の道理である。(p.198)以来、今も当人との手紙の送受だけは続けている。 きのう、『世界 8月号』が届いた。表紙は、なんかイタそうな、“蛇にピアス”なポートレート。でも、それをめくると現れる、生活感の漂うもう一枚の写真は、ほほえましくもある。 内容には、「足利事件」の弁護士による手記と、釈放されたS氏へのインタヴュー記事があり、それをまず読んだ。 そのほか、別の事件がらみのレポートも二本。 この頃なにやら、妙にその種のことに縁のある日常ではある。
by dra-wkw
| 2009-07-10 12:42
| 日常
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