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「進工舍」とは
1970年に“点鬼簿”入りした舎主の実父が、生前経営していた家業の屋号。
戦前につくられた木造二階建て家屋を改装して、50年代前半に創業。事業の最盛期には、本業とはまったく無縁の、名も無き「アナキスト」の活動拠点としても、多くの人間が出入りしていた。 両親没後は、曲折をへて住む人もないまま放置されていたが、今世紀に入って解体・撤去されついに消失。 このブログは、今はないこの舎(やど)を通り過ぎた人びとを偲びつつ、「新たなアナキズム」の可能性について、極私的につづるもの。 (なお、「舎」ではなく「舍」が正式名称) (最新記事の表示は、ページトップのブログタイトルをクリック) ・進工舍・別館もあります。 ・ana_gon(進工舍の次男坊)(舎主のツイッター) ◇舎主おすすめのサイト ・アナキズムFAQ ・アナキズム図書室 幸徳・大杉・啄木 etc. ・「父」 金子文子 『何が私をこうさせたか』(部分) 青空文庫 ・朴烈義士記念館 朴烈とその妻・金子文子を顕彰する韓国の施設(ハングル表記) ・アナキズム文献センター ・竹中英太郎記念館 「英太郎と労」父子の個人資料館 ・リベラル21 ・声なき声の会 ・マガジン9 ・九条の会 ・侵攻社の少年 カテゴリ
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年賀状作成終了! 午後・ポストに投函する。やれやれ、年内の仕事のひとつが片付いた。出してから気がついたのだけど、いつもの年は大晦日ぎりぎりなのに、今年はなぜか、まだ28日なのに完了。曜日のめぐりのせいかな。まぁ、早いに越したことはないから良しとしておこう。
世間では、もう正月連休モード全開のようだけど、アナゴンは明日もあさってもしごと…。とはいえ、アナキストには、そもそも、盆も正月も無縁か…。 このところ(といっても、大分前から)読んだのは、日頃のしごととも関係する、以下の5冊。 いずれも島本慈子(しまもと・やすこ)サンが書いた本。 とにかくどれも、掛け値なしのおすすめ品。 ・『子会社は叫ぶ この国でいま、起きていること』 筑摩書房 2002-06 ・『ルポ 解雇 ―この国でいま起きていること―』 岩波新書 2003-10 ・『戦争で死ぬ、ということ』 岩波新書 2006-07 ・『この時代に生きること、働くこと』(中村 佑・共著) 岩波ブックレット 2007-06 ・『ルポ 労働と戦争 ――この国のいまと未来』 岩波新書 2008-11 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() どの作品も、タイトルが示すように、いま、この国に生き・働くものそれぞれが、その属する基盤の現状と将来を考えるとき、忘れてはならないこと・念頭に置くべきことを、綿密な取材に基づいて鋭く提示してくれている。 ■
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by dra-wkw
| 2008-12-29 00:46
| 日常
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アナゴンが関与する某中小企業に、ひとりの若い男子社員が正社員として採用された。
きのうの午後は、その彼の社会保険に関する各種資格取得手続きをするため、管轄の役所へとあちこち赴いた。 最初に行ったのが職業安定所(ハローワーク)。そして、そこで異様な光景にでくわした。 いつもなら、それほど来訪者はいない時間帯のはずなのに、何か深刻な表情の人びとでいっぱいだったのだ。しかも、そのほとんどが、男女を問わず三十歳代以下と思しき、若い求職者の群れなのだ。派遣契約を中途解約されたか、雇い止めとなった、非正規雇用の若者たちなのだろうか。 そそくさと手続きを済ませ、一点を見つめたまま動かない彼らの視線を横目に、その前を通り過ぎたのだが、つい一、二ヵ月前までは想像もつかなかった事態が生じていることを、まざまざと知った。 職安で失業給付を受けられる人は、まだましかもしれない。彼らの背後には、雇用保険にすら未加入の労働者も多数いるにちがいない。 業種を問わず、競うように、次々と大量の人員整理を発表する大企業。その陰には、構造的にも心理的にも、それに追随せざるを得ない数多くの中小零細な企業もあるだろう。だが、パイの大きさが変わらない以上、今までたらふく分け前をせしめていた者が、「シェア」するしかないはず。 「リベラル21」の田端光永氏の意見には、まったく同感。前途ある若い人を守り、育て、大事にしようとしない組織・社会に、未来はない。 アナゴンには果たして何ができるだろうか……。 ![]() ■
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by dra-wkw
| 2008-12-20 08:57
| 日常
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・森 達也 『いのちの食べかた』(理論社・2004年)⇒(2011年からはイースト・プレス:そして角川文庫にも)
・ニコラウス・ゲイハルター 『いのちの食べかた(原題:OUR DAILY BREAD)DVD版』(2005年公開。販売:紀伊國屋書店・2008年) ![]() ![]() そのときの『波』が2006年の6月号で、それを見てすぐ書店で手に入れ通読したのだから、2年以上も前のことか。 映画のほうは昨年日本でも公開され話題となったが、観てなかったので、DVDの発売を知り買ったもの。 森の論旨は、児童書でありながらも、肉食にまつわる日本社会の差別の歴史を提示していて、内省的で啓蒙的な意味合いを強く感じたのだが、そのタイトルをそのまま邦題として借りたニコラウス・ゲイハルター監督の映画からは、映像の美しさゆえか、生きるためには食わざるをえない、殺さざるをえないことを自覚してしまった人間の悲しみは伝わってこない。 人間の生命と他の動植物のそれとは、その価値に歴然とした差異があるということか。それとも、一神教文化圏にある人間と、そうでない文化のもとにあるものとの生命観の違いなのか。 そうではあるまい。ナレーションもBGMも、一片の言葉さえそぎ落として突きつける映像は、観る者一人ひとりに、「今」があることの意味を冷厳に問いかけるものなのだろう。何度か繰り返し観ると、このドキュメンタリーはこうとしかつくり得なかったのだということを納得させられる。 とにかく凝視すること。すべてはそこから始まるというのが、この映画の最大のメッセージといえようか。(オフィシャルサイトはこちら) ■
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by dra-wkw
| 2008-12-10 12:04
| 読書
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6日の土曜日は、渋谷のC.C.Lemonホール(渋谷公会堂)での第9コンサートへ。もう四半世紀続いているという、「渋谷区民音楽のつどい」。
ややスローテンポの演奏ながら、久しぶりに生オケのトゥッティを堪能した。 同行者を千葉の自宅まで送り届けて帰宅したら、午前1時を過ぎる。やれやれ。 玄関のドアノブに、amazonに注文していた『いのちの食べかた』(DVD)が、ぶら下がっていた。 観るのはいつになるかな。 ■
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by dra-wkw
| 2008-12-08 03:48
| イベント
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日本版ピューリッツァ賞を名乗る、「平和・協同ジャーナリスト基金(PCJF)」から、今年度第14回基金賞(大賞)に、もやい事務局長・湯浅誠氏の『反貧困』(岩波新書)が、ノミネートされた55作品の中から選ばれ、きのう東京新宿で授賞式があった。
今朝の新聞その他で知った。(詳報はリベラル21にも。) 貧困・ホームレス問題に、献身的に取り組む人の作品が評価されたことは、わがことのように喜ばしい。先日のアナゴンの些細なカンパに対しても、もやいから、ていねいな礼状が届いた。かえって恐縮。 一読者、一支援者としてこれからも応援したい。 このところ、“世界同時不況”のあおりを受けて、派遣社員等、非正規労働者・大量解雇の報道をやたら目にする。年末年始の寒空に放り出される人びとを思うと、心が痛む。 それにしても、この状況を招いた張本人は誰か。新自由主義の尻馬に乗って世界を、日本をぶっ壊そうとしたのはいったい誰なのか……。 とにかく、政府を筆頭に、一人ひとりが支え合いを、できることを速やかに実行するしかない。黙っていてはダメだ。声を上げよう。 ■
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by dra-wkw
| 2008-12-06 11:10
| 社会
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11月最後の週末は、行ってみたいイベントがいろいろあったのだが、その中から、以前、朝のNHKラジオでも告知・紹介された現代美術を味わうため、埼玉まで遠征してきた。
![]() ![]() ![]() ![]() というのも、湯浅誠「もやい」事務局長の『反貧困』を読んだことがきっかけになって、プレカリアート運動の旗手・雨宮処凛の『生き地獄天国』、『「生きづらさ」について』など、彼女の著作を何冊か読み、さらにそこから、今年6月創刊の超左翼マガジン『ロスジェネ』(かもがわ出版)と続いて、“桃色アーティスト”(?)・増山麗奈(ますやま・れな)の存在を知っていたからだ。 このひとは32歳。二児の母親でありながら、反戦アート集団「桃色ゲリラ」を主宰。世界を変える表現を求めて、絵だけでなく、パフォーマンス、執筆活動と、マルチに活躍するスーパー・ママなのだ。 彼女の自伝、『桃色ゲリラ PEACE & ARTの革命』(社会批評社・2006年)も手に入れて読んだ。 反戦・反原発デモやイラクでのアート活動が評価されて(?)、「集団」結成5年目の今年、防衛省の内部文書・「監視すべき危険人物リスト」に掲載されるという、“栄誉”を賜ったのだとか。それにしても、ニッポンの自衛隊ってなんてこうバカなのか。画家を監視してどうするというのか。監視すべきは身内の“課外活動”だろーが。 余談はさておき、肝心な彼女の絵は、荒削りで、いまだ完成されたものとは思えず、文章や発言も決してこなれているとは言い難い。だが、不思議な親しみを覚えてその絵に引き寄せられ、いつか共感しつつ、彼女の書いたものを読み進めている自分を発見したりもする。 ときに、ハチャメチャな表現、エキセントリックな描写にぎょっとさせられるものの、きらりと光るものがあり、可能性を強く感じさせるのだ。 以下、自伝から印象的なフレーズを紹介したい。 芸大生時代のある日、制作に没頭する彼女を見て、冷ややかにつぶやいた大学助手の言葉に反発し、そのとき抱いた思いをこう書いている。 「増山君、今はこうして学校のアトリエで制作を続けていけているけれど、社会に出たら、絵を描く場所などないのだよ。真っ白な芸術のための部屋などないのだ」。雨宮処凛の生き方にも似て、かなりやんちゃで危なっかしくはあるが、この人も人との出会いには恵まれているようだ。彼女のまっすぐな人間性に魅了されて、周囲に善なる人びとが集まってくるのか。 ![]() 11月29日には、その関連イベントで、佐々木裕司とのコラボ・パフォーマンスが催され、アナゴンはそれを観てきたのだ。 テーマは、【母乳 vs 受身 ~ 遺伝子異常でも繋がりたいの】(?)。 体と意識が硬直し、他者と繋がれない男女の物語を、アクションペイントと歌で表現するというもの。 佐々木裕司は、絵の具まみれの肉体そのものを絵筆とし、柔道の受身の繰り返しによって創作欲を画布に叩きつけ、表現する。増山も全身を使って、新自由主義崩壊後の世界地図を母乳(!)で描く、という趣向。 「桃色ゲリラ」の歌手、白井愛子も共演した。 観客は、彼らの友人を中心に50人前後だったか。 内容は写真だけでは説明がむずかしいが、社会や政治との関わりを決して排除しない、カラダを張った芸術表現は、巧拙を超えていて、安易な評価を許さないものだった。分野は異なるものの、現代の「金子文子※」ともいい得るような突き抜けた個性を感じさせる彼女のこれからに期待し、注目していきたい。(増山麗奈の公式サイトは、こちら。ブログはここ。) ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() でも…、お、お母さん! 「にゃん」ちゃん達のためにも、ほんと、くれぐれもカラダだけは大事にね…。と、心から祈らずにはいられない、晩秋のひとときでありました。 ※「金子文子」については、当ブログのここと、ここを参照されたし。 ■
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by dra-wkw
| 2008-12-03 23:55
| イベント
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