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「進工舍」とは
1970年に“点鬼簿”入りした舎主の実父が、生前経営していた家業の屋号。
戦前につくられた木造二階建て家屋を改装して、50年代前半に創業。事業の最盛期には、本業とはまったく無縁の、名も無き「アナキスト」の活動拠点としても、多くの人間が出入りしていた。 両親没後は、曲折をへて住む人もないまま放置されていたが、今世紀に入って解体・撤去されついに消失。 このブログは、今はないこの舎(やど)を通り過ぎた人びとを偲びつつ、「新たなアナキズム」の可能性について、極私的につづるもの。 (なお、「舎」ではなく「舍」が正式名称) (最新記事の表示は、ページトップのブログタイトルをクリック) ・進工舍・別館もあります。 ・ana_gon(進工舍の次男坊)(舎主のツイッター) ◇舎主おすすめのサイト ・アナキズムFAQ ・アナキズム図書室 幸徳・大杉・啄木 etc. ・「父」 金子文子 『何が私をこうさせたか』(部分) 青空文庫 ・朴烈義士記念館 朴烈とその妻・金子文子を顕彰する韓国の施設(ハングル表記) ・アナキズム文献センター ・竹中英太郎記念館 「英太郎と労」父子の個人資料館 ・リベラル21 ・声なき声の会 ・マガジン9 ・九条の会 ・侵攻社の少年 カテゴリ
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アナゴンこと、舎主の口車に誘われてか、どなたかのご案内か、はたまた単なる奇縁なのか、なんとも知るすべはありませんが、ともあれ弊舎へのお越しを心から歓迎いたします。
ここにつづるのは、主として「アナキズム」、および「少数に宿る真理」について。いつまで続けられるか舎主にもわかりませんが、拙文のどれかがお気に召したなら幸いです。 なお、引用する文献等に、今日からすると差別的な表現が含まれていても、資料的価値を重視しそのまま掲載しています。 また、この「まえがきに…」も含め、過去の記事内容は、気がむけば文意を変えずに加筆・修正することがあります。その節はどうかあしからず。 ご意見等は各記事のコメント欄へご自由にどうぞ。非公開の設定として、舎主あてのメール代わりにもお使いください。 ※通常の記事は、この稿以降に続きます。(2012年9月以降、更新が滞っていますが、旧稿にはときどき手を加えています。 2018-01) 左メニュー欄上部の画像は、大正時代のアナキスト・金子文子(金子ふみ子)が幼少の一時期を過ごした地域の風景です(2007年10月撮影。クリックで拡大)。場所は、山梨県の牧丘町杣口(そまぐち)(旧・諏訪村。現・山梨市)です。 眼下に広がるのはブドウ畑。この地には彼女の実母の生家があり、現在、その庭の一隅には文子の歌碑が建てられています。 文子は、自身のことを「ニヒリズム運動家」であると宣言していましたが、舎主は、反権力・自由平等主義者としての、アナキストのひとりと考えています。ちなみに、彼女がこの世に生をうけたのは、神奈川県の横浜市。その後、山梨・朝鮮・浜松・東京などに移り住みました。 1903(明治36)年の1月25日が、文子の生誕の日です(歿年は1926年。栃木県宇都宮市にて)。 ![]() 詳細は以下の拙稿で検証しています。⇒ [ vol.1,vol.2 &+ ] なお、左下写真が文子本人のものであることは、まちがいないと思われます。 ![]() また、左のメニュー欄か本稿下にある #アナキストたち のタグをクリックすれば、それ以外の関連記事を示します。 ■
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by dra-wkw
| 2019-01-25 14:38
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9月も半ばだというのに半端でない暑さ。ただいまの室温は31℃! 残暑というより、“もどり大暑”とでもいいたい趣の今日このごろ。
で、だいぶ前の“さえずり”をアトランダムにまとめてあったのだけど、ブログとして投稿するのを忘れていた。今さらだけど、読書メモと一緒にいちおう残しておくことにする。 本当は、半世紀以上前それに手を染めてしまった時から、「脱」するなんてことは不可能なのだ。今すべてをやめたとしても、地上に溜めこんでしまった厖大な核のゴミは、到底人間の力では消し去ることなどできないのだから。 猛毒のそのゴミを、見えないように地中深く埋めたとしても、人間が核のもたらす恐怖から「脱」したことにはならない。10万年、あるいはそれ以上の途方もない時間を、「原罪」を抱えて生きていく覚悟がいるのだ。 核爆弾とその周辺技術を生み出してしまった現代人は、これから地球上に生まれてくる無数の未来生命に対して、取り返しのつかない負い目をつくり続けている。本当の「核廃絶」というものがすこぶる困難なことだとしても、気がついた以上は今から覚悟を決めて始めるしかない。 賠償負担をするのが政府であっても“民間企業”であっても、最終的にツケが回ってくるのは、前者の場合は納税者と呼ばれ、後者なら消費者とか顧客と呼ばれる人びと。結局おなじふところがねらわれているということだ。 生物寄生のうちで、自分が成長するために寄主(宿主)の身体を食い尽くし死に至らしめるものを「捕食寄生」という。狡猾な寄生者は、宿主が死ぬまで外部には姿を現さない。一人前に成長した寄生者は、まさに恩をあだで返すように瀕死の宿主を見捨て、自由の天地へと飛び立つ。 「捕食寄生」的王国。体制の存続と自己保身のためだけに働く官僚たち。そこにせっせと貢ぎ物を献上する無数の奴隷とその番人たち。人間のような知性ある動物でありながら、寄生者の生存を許すということは、結果的には、思考を放棄し、際限なくそれを養い続けるおろかな宿主の罪。 「人民を奴隷化するものは王侯・貴族ではなく、地主・資本家でもない。人民を奴隷化するものは人民自身の無知だ」(ヘンリー・ジョージ)――。宗教(絶対の価値観≒恐怖心)を植えつけ、情報から遮断し、ノルマを課して考える時間を奪えば、いくらでも奴隷は量産できる……。 すべての事象には功罪がある。見る角度によっては善にも悪にもなる。「互具」なのだから。透徹したニヒリズムでもあり、革命的楽観論でもある。善とするか悪とするかは、一人ひとりの「観心」次第。 1.【アナーキストたちは革命家としても、矛盾に満ちた人間だった。……テロリストになり、爆弾を投げつけようとした瞬間でも、標的の人物が乗った馬車のなかに、幼い子どもが一緒にいたのを見て、思いとどまってしまう。そこが組織に頼るボルシェビキと違っていた。】 2.【ボルシェビキは組織のために、個を埋没させてしまう。埋没しない人間は除名して切り捨てる。しかし、アナーキストたちは、最後の一瞬まで、あくまで一個の感情を持った人間として行動した。少なくともそう努力した。アナーキストには、人間を越える価値を持つ組織などなかった。】 3.【大正の時代、つまり大杉たちの時代、アナ・ボル論争があった。簡単にいえば、それは、労働者を中央の統制に従う組織にしようというボルに対し、地方の個々の団体が主体性を保ったまま、自由意志で連合する形でまとまればいい、と反対を主張するアナとの、路線上の闘争だった。】 4.【しかし、アナの勢力は、大杉を暗殺で失ったことで、急速に衰えていく。▼もともとこの争いは、ロシア共産党が1921年にアナーキストを排除した影響を受けて、日本のボルシェビキたちがそれに倣おうとしたところから始まった。】 5.【ボルシェビキたちは、レーニンに代表されるように、革命は訓練されたプロの革命家の集団である党に任せるべきだ、プロが作戦を練り、大衆はその指導にしたがって動けばいい、という考えであり、それに対し、あくまで大衆が主体だ、というのがアナーキストたちの考えだった。】 6.【……アナ・ボル論争は、永遠に終わることのない論争であるべきなのに、現実には、ボルの勢力が圧倒的になり、アナの勢力が衰えたので、ボルの主張の正しかったことが証明されたというのであった。▼しかし歴史は終わらない。人類が滅亡するまで、歴史はあたらしい判断を下し続けるのだ。】 7.【……アナーキズムは不死だ……。▼ボルシェビキ革命が、崩壊し、社会主義そのものまでが、粗大ゴミのように捨てられそうな今、社会主義の永遠の命を復活させることができるのは、アナーキズムしかない。】〔竹中 労 著 『断影 大杉栄』(ちくま文庫) pp.305-307〕 8.竹中没後、2000年に刊行された、ちくま文庫の「名著」。巻末の、なだいなだ氏執筆解説文から引用。二項対立論としてアナキズムを語るのは好かないが、人間の絶対平等、真の自由論として注目すべきときが来ているのは確か。Sturm und Drang.(疾風怒濤)の時代よ、人類滅亡の前に再び! (了) ⇒ cf. アナキズムの目指すところは、遂には国家の廃絶であり、無権力共同社会(実際には権力分散型の相互扶助社会)の実現なのだが、短兵急なテロリズムを礼賛するわけではないし、いわゆる、社会の“無政府”状態を容認するのとも違う。何より個人の自由と尊厳とに至上の価値を置く社会をつくることなのだ。 叩くなら権力を叩け。嗤うなら権力にひれ伏す“犬”を嗤え。権力に阿るメディアなどは叩かれて当然だが、その現場で働く末端“労働者”は、下請け・孫請けの「弱者」であることがほとんどだ。そこで声を上げる勇気ある人にこそ光を当てるべきなのだ。 欲望のおもむくままに行動する性向を、獣性という。けれど、身近にいるペットなどに獣性を感じることはまずない。野生動物の世界でもことさら獣性をあらわにした、貪欲なだけのケモノ類を見ることはめったにない。やはり獣性とは、動物たちにはとても失礼な、人間のためだけの用語。 2001年8月末、南ア・ダーバンでの国連反差別会議。「シオニズムは人種差別である」との決議案に抗してイスラエルとアメリカの代表は退席。第3世界の国々は奴隷制と植民地支配の責任を認め謝罪するよう求めたが、「先進国」グループは最後まで拒否。この会議閉幕の直後「9.11」は起こった。→ →【その自爆攻撃すらも、日に日に日常化し、……人々の関心を引くことも少なくなっている。破壊と殺戮が、食事や排泄のように日常化した世界。極限的と思われた抵抗すら、すぐさま陳腐化させてしまう世界。世界そのものが自爆している。】〔徐京植 著 『ディアスポラ紀行』(岩波新書)pp.34-36〕 「国」の下に位置する行政単位は、都が1、道が1、府が2、県が43の、合計47ある。でも、それらを総称するとき、なぜすべてを並べて「都道府県」と呼ぶのか。言葉としてもスマートじゃない。圧倒的に数が多いのは“県”なのだから、「県類」(または県等)といってほしい。 政治家名アナグラム:「死のヒヨコだ!」=のだ よしひこ。 「おちわ、いざ、ろう!(落ちは、いざ、牢!)」=おざわ いちろう。 「にた、さかずきだが(似た、杯だが)」=たにがき さだかず。 「つなぐやま、おち!(繋ぐ山、堕ち!)」=やまぐち なつお。 老醜といい、老害ともいう。美しく老いることの、とてつもない難しさ…。 買った本は、新旧の6冊。特におススメは、小熊教授による500ページ超の分厚い新書と、柳美里女史初の対談集。 ◆小熊英二 『社会を変えるには』(講談社現代新書)2012 ◇澤地久枝 『火はわが胸中にあり 忘れられた近衛兵士の叛乱 竹橋事件』(岩波現代文庫)2008 ◆斎藤 環 『被災した時間―3.11が問いかけているもの』(中公新書)2012 ◆黒川創 編/鶴見俊輔 著 『思想をつむぐ人たち 鶴見俊輔コレクション1』(河出文庫)2012 ◇本田靖春 『私戦』(河出文庫)2012 ◆柳美里対談集 『沈黙より軽い言葉を発するなかれ』(創出版)2012 ■
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by dra-wkw
| 2012-09-14 12:20
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もう立秋もお盆も過ぎ、暑さの峠も越えた感じのきょうこのごろ。
先月と、昨日までに買った新旧のモロモロをまとめてメモ。特におすすめなのは、出版社サイトにリンクを張った2冊。 そのなかから、「強いられた自発性」という戦場での不条理を暴く、『非業の生者たち』より少し引用。 自我と自由を悪とし、疑う精神を摘みとられたすなおな国民。これが明治いらいの日本人の理想像である。国民の国家への絶対的忠誠心には濁りがなく、清澄とすらいえた。その国が、身を汚される前に死ねと命じる、それが内面化していた。チビチリガマの内側では死の準備が整えられていく。外側では「鬼畜」のはずの米兵がいのちの救済を呼びかける。少年は初めて日本を疑った、清澄な忠誠心に濁りが差したのだ。少年は暗闇からまばゆい外へ出た。怯えてしり込む母の手を強く引き人間を越えたものに従ったのだが、ひとりとして村人はつづかなかった。まもなく集団自決が起きた。あの四人の女たちを含めてチビチリガマを出た人々は「煙と炎で苦しんで死ぬよりは、アメリカーに撃たれて死ぬほうが楽だ」と射殺を覚悟して出たところを救助されたのである。つまり信助少年はセットの思想のたくらみを直感的にせよ見破った、チビチリガマではおそらく唯一の人間だったのだ。(p.33) ![]() でも、そろそろ本棚を新調しないと部屋の中が相当マズイ状況になってきたな…。 ◆服部英雄 『河原ノ者・非人・秀吉』(山川出版社)2012 ◇梨木香歩 『f植物園の巣穴』(朝日文庫)2012 ◆重信房子歌集『ジャスミンを銃口に』(幻冬舎)2005 ◆前田 朗 『平和力養成講座 非国民が贈る希望のインタヴュー』(現代人文社)2010 ◆坂野潤治 『日本近代史』(ちくま新書)2012 ◆若松英輔 『内村鑑三をよむ』(岩波ブックレット)2012 ◆KAWADE夢ムック 『文藝別冊 [総特集] いしいひさいち 仁義なきお笑い』(河出書房新社)2012 ◆荒井信一 『コロニアリズムと文化財 近代日本と朝鮮から考える』(岩波新書)2012 ◆室 謙二 『非アメリカを生きる 〈複数文化〉の国で』(岩波新書)2012 ◆いしいひさいち 『現代思想の遭難者たち 増補版』(講談社)2006‐2011 3刷 ◆鶴見俊輔 『みんなで考えよう③ 大人になるって何? 鶴見俊輔と中学生たち』(晶文社)2002 ◆田沼武能 『カラー版 難民キャンプの子どもたち』(岩波新書)2005 ◆下嶋哲朗 『非業の生者たち 集団自決 サイパンから満洲へ』(岩波書店)2012 ◆いしいひさいち 『女(わたし)には向かない職業1[おぼえてないわ]』(東京創元社)2006 ◆いしいひさいち 『女(わたし)には向かない職業2[なんとかなるわよ]』(東京創元社)2006 ◆永幡嘉之 『巨大津波は生態系をどう変えたか 生きものたちの東日本大震災』(講談社ブルーバックス)2012 ◇平野啓一郎 『日蝕』(新潮文庫)1992 ◆岩波書店 『世界 9月号』特集:だれのための政治なのか 政党政治の危機、デモがもたらす希望 ◆北原亞以子 『父の戦地』(新潮文庫)2011 ■
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by dra-wkw
| 2012-08-18 13:39
| 読書
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もう新聞掲載から10日以上経ち、そのまま転載しても問題はないだろうと思うので、当方のブログにも記録のため残しておくことにする。
「やまなし金子文子研究会」代表のSさんから、うれしいお知らせ。金子文子の“肖像写真取り違え事件”について、大きな進展があったとの電話をいただいた。なんと天下の読売新聞が、わがブログでの指摘に興味を示し、夕刊の中ではあるが全国版の記事として写真入りで大きく取り上げてくれたとのこと。地元紙である山梨日日新聞でも、つい最近に同様の報道がなされたらしい。 あいにく読売は現在購読していないので、近くの図書館に出向き、問題の記事をしかとわが眼で確かめてきた。 ![]() 「梨の木舎」にも取材して改訂版出版の確約を取りつけることができたのは、やはり「読売」というステイタスのゆえか。署名記事ではないので書いた記者がどんな人物かはわからないが、おそらく比較的若い方ではないのかと思う。 なにはともあれ、文子の思想の先見性が評価されるのであれば、どのメディアが取り上げてくれようと喜ばしいことに変わりはない。また事ここに至るまでは、Sさんらによる相当の働きかけがあったであろうことも想像に難くない。 そして、やはり文子の書き遺した、「間もなく私は、此の世から私の存在をかき消されるであらう。しかし一切の現象は現象としては滅しても永遠の実在の中に存続するものと私は思って居る。」という、手記の結びの言葉どおりに、その思想はこれからも生き続けていくことは間違いないだろう。 読売新聞Webサイト上に掲載されていた記事は一般公開がすでに終了しているので、新聞では省略された最後の部分も含め、当該記事のコピーを以下に貼っておきます。 「大逆罪の活動家 金子文子の写真は別人のもの」 (文子の生年は、1903年とする説が妥当であるのだが、ここまで書いてくれたのだから細かいことは言わないでおこう…) 蔵書録… ■
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by dra-wkw
| 2012-06-27 21:32
| アナキズム
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もう五月も晦日。更新を忘れていたわけじゃないのだけれど、なんとなく放置状態になってしまった…。
28日の朝日新聞の「声」欄で読んだ、気になる投稿記事を転載しておきたい。たぶん本名での投書だと思う。 その時から20年が経つというのに、幼い心に刻まれた屈辱の記憶は、消え去るどころかいや増すばかりのよう。投稿が全国紙に掲載されたことで、少しでもよい方向に心境の変化があることを祈るばかり。 教師の虐待 子どもは話せない ![]() ※そして、一週間後の同じ「声」欄に載った、50年前のある経験。「信じてくれた先生に感謝」 ![]() 今月買ったのは、新刊5冊。 ◆竹中労/かわぐちかいじ 『黒旗水滸伝 大正地獄篇 三』(皓星社)2012 ◆竹中労/かわぐちかいじ 『黒旗水滸伝 大正地獄篇 四』(皓星社)2012 結局、新装版となっても中身は旧版とまったく変わらず。竹中英太郎の表紙絵もなくなったので、やっぱり物足りない。 ◆テッサ・モーリス‐スズキ/田代泰子 訳 『北朝鮮で考えたこと』(集英社新書)2012 ◆荻野富士夫 『特高警察』(岩波新書)2012 ◆赤坂憲雄・小熊英二 編著 『「辺境」からはじまる 東京/東北論』(明石書店)2012 ![]() 当日の、7人の登壇者による発表は、休憩を除いてたっぷり6時間超! 帰りの中央線は、工事の影響で間引き運転。おかげで間違えて二度も反対方向の電車に乗ってしまい、家に帰りついたのは10時近く。もう疲労困憊。でも、徐京植さんにも会えたし、とにかく参加してよかった。『こども東北学』の山内さんにはごあいさつできず、失礼してしまったけれど…。⇒* ■
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by dra-wkw
| 2012-05-31 22:49
| 日常
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◆『太陽を盗んだ男』(東宝)
1979年に公開された、147分の長編映画。主演は若き日の沢田研二と菅原文太。数日前にDVDを買って観た 「太陽」とは、プルトニウム型原爆のこと。ちょっと荒唐無稽なところもあるけれど、映画をこよなく愛するのであろう人びとによってつくられた、邦画らしくない出来映えには感心した。とくにエンディング。一見の価値あり。 増えた本は新書と文庫。 ◆たくきよしみつ 『3・11後を生きるきみたちへ 福島からのメッセージ』(岩波ジュニア新書)2012 ◇和田春樹 『北朝鮮現代史』(岩波新書)2012 ◆桜井智恵子 『子どもの声を社会へ 子どもオンブズの挑戦』(岩波新書)2012 ◇ウェルズ/池 央耿 訳 『タイムマシン』(光文社古典新訳文庫)2012 ◆田中信尚 『ルポ 良心と義務 「日の丸・君が代」に抗う人びと』(岩波新書)2012 ■
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by dra-wkw
| 2012-04-30 10:22
| 日常
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◆E・ハーバート・ノーマン/大窪愿二 訳 『忘れられた思想家 安藤昌益のこと(上・下)』(岩波新書)2008
![]() 初版は1950年の発行で、4年前にアンコール復刊された23刷(下巻は21刷)を入手。旧漢字のままなので相当に読みにくくはあるが、上巻をようやく読了する。 多少なりともアナキズムや社会主義に、あるいは、人権というものの本質について関心をもつ人間には、必読の文献と言っていいかもしれない。 単にエキセントリックなだけではない昌益の思想の斬新さは、かぎりなく非日本人的な研究者にしか理解されてこなかったように思う。この本が書かれてから60年以上経った今もなお。 で、すこしだけメモしておく。 ⇒ cf. 多くの社会批評家がそうであるように、昌益は、かつて過去のはっきりしない時代に、人類が支配階級というものに束縛されず自由平等に天真な生活を営んでいた理想社会があったと信じていた。かれの見るところでは、人間社会は太古の純朴な状態からあまりにかけはなれてしまったので、いまでは階級闘争に苦しめられ、貧富の甚しい懸隔に引き裂かれ、それが経済競争を起し、はては暴力を生み出すにいたっていた。日本では、かくして、社会的に何かの有用な機能を果すような取柄の全くない武士階級が発生した。儒者や僧侶は道徳的、精神的に社会を毒するものであり、武士階級は民衆を抑圧するものであった。そこで、日本の儒教正統派の学者が営々と築き上げた思想――社会は階層的序列の積み重ねであり、各階層は夫々あるべきところが定まっているから、上に立ち温情を持って下を保護し支配する者を下の者は尊敬しこれに従うべきであるという思想に、昌益は戦を挑んだのであった。(略) 昌益に興味を持たれた方は、ぜひ本書を手にしページを繰ってみてほしい。 ほかに、きょうまでに買ったもの、読んだものなど。 ◆『朝日ジャーナル わたしたちと原発』(朝日新聞出版)2012-03-09発売 ◇小田 実 『オモニ太平記』(講談社文芸文庫)2009 ◆辺見 庸 『瓦礫の中から言葉を わたしの〈死者〉へ』(NHK出版新書)2012 ◆今尾恵介 監修 『日本鉄道旅行地図帳 東日本大震災の記録』(新潮「旅」ムック)2011 被害を受けた鉄道全路線を網羅した記録。本としても貴重だが、特設サイトに掲載されている動画や写真もかなり見応えがある。 ◆安野光雅 編 『ちくま哲学の森 4 いのちの書』(ちくま文庫)2011 ◇竹中労/かわぐちかいじ 『黒旗水滸伝 大正地獄篇 一』(皓星社)2012 ◇竹中労/かわぐちかいじ 『黒旗水滸伝 大正地獄篇 二』(皓星社)2012 12年ぶりに新装版として復刊。上下2巻だったものがそれぞれ二分割され、全4巻になった。軽くなって寝ころんで読むには好都合。一冊あたり1200円という価格設定も良心的。 でも、竹中英太郎の表紙絵が採用されなくなったのはすこぶる残念。竹中家との間に何かあったのかな? 中身が初版本とまったく同じなのは少し物足りない気も。続刊に期待しよう。 ◆外村 大 『朝鮮人強制連行』(岩波新書)2012 ◆千葉悦子・松野光伸 『飯舘村は負けない 土と人の未来のために』(岩波新書)2012 ◇成田龍一 『近現代日本史と歴史学 書き替えられてきた過去』(中公新書)2012 ◆徐京植 『フクシマを歩いて ディアスポラの眼から』(毎日新聞社)2012 ◆鶴見俊輔・加藤典洋・黒川 創 『日米交換船』(新潮社)2006 安藤昌益、ハーバート・ノーマン、鶴見俊輔…。これら「アナキストたち」の連関を思うと、やはり粛然とした気分にさせられる。 ◆柄谷行人 『政治と思想 1960-2011』(平凡社ライブラリー)2012 ■
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by dra-wkw
| 2012-04-08 18:18
| 読書
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ともかく、あしたで一年・・・。
大津波によって壊滅的な被害を受けた地のひとつ、宮城県南三陸町。震災からひと月後に撮影されたという町の風景をあらためてみつめた。 撮影者は、南三陸(旧志津川町)に生まれ育った、『こども東北学』の著者でもある山内明美さんそのひと。 そして、『世界 4月号』への山内さんの寄稿、「〈東北〉が、はじまりの場所になればいい」から。 震災のあと、はじめて父の声を聞けたのは、一週間後だった。いつ途切れるともわからない不安定な携帯電話の回線の向こうで、やっと、「元気だ」と聞こえた。消防団の副団長をしている父は、巨大な地震のあと、水門を閉めに海へ向かった。地震が起きた時に水門を閉めるのが、副団長の役割だったからだ。港の手前で、津波が町を襲うなか、父は消防士に助けられたのだった。「なんとか生きのこったんだ」と父は言った。そして、「俺を助けた消防士一〇人のうち、九人が死んでしまった」と言った。言葉を失った。生き残った一人は、雪の降りしきる冷たい海を一晩中泳いで、二〇キロ先の対岸に辿り着いた。奇跡の生還だった。津波のあと、わたしが一番最初に聞いた、あの日の話。世界で起こりうる、あらゆる壮絶が、あの日、三陸を襲ったのだと思った。(p.83)2ページ目のここまで読んで、しばらく先に進めなくなった。圧倒的事実のまえには立ちすくむしかない――。けれど、それでも、「はじまりの場所」は、ここと定めるしかないのだ。 買ったのは新刊5冊。 ◆畑中章宏 『柳田国男と今和次郎 災害に向き合う民俗学』(平凡社新書)2011 ◆KAWADE道の手帖 『大杉栄 日本で最も自由だった男』(河出書房新社)2012 ◆外岡秀俊 『3・11 複合被災』(岩波新書)2012 ◆岩波書店 『世界 4月号』特集:悲しもう・・・ 東日本大震災・原発災害 1年 ◆アーニー・ガンダーセン/岡崎玲子 訳 『福島第一原発――真相と展望』(集英社新書)2012 毎日新聞に掲載された、山内さんを含む被災三県出身の識者による鼎談も必読。 ⇒〈 ■
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by dra-wkw
| 2012-03-10 12:17
| 社会
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きょうは閏日。寿命を一日延ばしてもらったような、オマケのようなもうけもののような日。
こんな日はいつも後回しにしている、本来なすべき本業に身を入れるべきなのだろうけど、目覚めてみれば窓の外は一面の銀世界。積雪は10センチ程度か。これ幸いと予定は屋内作業にあっさり変更。しかし、夕方過ぎにかかってきた電話で、以前就職の相談を受けていた女性の、面接結果が思わしくなかったことを知らされる。本人もショックだったろうが、九分通り大丈夫だと思っていたこっちもガックリ。つくづく求人と求職のマッチングはムツカシイことを実感。なんとかしてあげねば…。 このひと月あまりで買って読んだものを、まとめてメモ。 ◆徐京植 『過ぎ去らない人々 難民の世紀の墓碑銘』(影書房)2001 図書館で借りて読んだのだけれど、金子文子について書かれたものは持っていたい。でも、使われている文子の写真は、例の同名異人のもの…。 ◆森まゆみ 『断髪のモダンガール 42人の大正快女伝』(文春文庫)2010 42人を網羅的に並べてあるだけではなく、それぞれの関係性にまで踏み込んで書いているので、全体としての物語性は高い。やはり、ここでも文子の肖像は例の…。 ◆後藤政志 『「原発をつくった」から言えること』(クレヨンハウス・ブックレット)2011 時の人のひとり、元格納容器設計者・後藤氏による原子力への悔恨と警鐘。 ◆カタログハウス 『通販生活 2012 春号』2012 頒価180円の、(脱原子力を標榜する)堂々たる論壇誌。 ◆柳美里 『雨と夢のあとに』(角川文庫)2008 ◆渡辺京二/小川哲生 編 『民衆という幻像 渡辺京二コレクション2 民衆論』(ちくま学芸文庫)2011 ◆徐京植 『中学生の質問箱 在日朝鮮人ってどんなひと?』(平凡社)2012 日本人にはとても書けないだろう歴史の真実を突きつけてくれる。著者のような人がこの国の同時代人であるというのは誇るべきこと。 ◆小倉紀蔵 『心で知る、韓国』(岩波現代文庫)2012 柳美里の『ピョンヤンの夏休み』に触発されて。この島国の未来は、やっぱりきちんと隣国に目を向けない限り開けないのは確かだ。 ◆『文藝春秋』2012年三月号 芥川賞発表号 『共喰い』を読みたくて買う。女性選考委員の評価が高かったというのはうなずける。「共喰い」にされたのは、結局父と息子。女は強し。 ◆外岡秀俊 『震災と原発 国家の過ち 文学で読み解く「3・11」』(朝日新書)2012 為政者は、どれほど強大で偉そうにみえても、しょせんは額に汗して真面目に働く「直耕」の人々に寄生し、その稼ぎの上前をはねているにすぎない。庶民を武力で抑えつける武士階級も、人々に服従や諦めを説く聖人たちも、よくよく考えれば、自分では働かず、ただ人々が育てた穀を貪っているにすぎない。上に立つ人間は、父が子に対するように、下にいる人々を、頑是ない無知な子どもとして扱う。その鉄則は「拠らしむべし、知らしむべからず」である。そうして仁を施すように、もともとは人々が丹精こめて育て収穫した作物を、さも物惜しげに下げ渡す。(p.121)東北の思想家・安藤昌益(元祖アナキスト?)の書を引いての印象的なフレーズ。まさに然り。現代の、どこぞの「寄生虫」にも聞かせてやりたし。 ⇒ cf. ![]() 「よりみちパン!セ」新シリーズの一冊。76年生まれの若い研究者による「東北学」入門。著者は、津波による壊滅的被害を受けた宮城県南三陸町の出身。この本には、今度の震災を考えるうえで、こどもに限らずだれもが読むべき大切なことが書かれている、と思う。前述の外岡著と同様に、安藤昌益についてもわかりやすく紹介されている。 文中に登場する、著者の同級生だった「タケシくん」のその後がとても気になったので、山内さんに直接問い合わせてみた。すると、彼は無事で、家も津波の被害から免れ、仕事も元気で続けているとのこと。ホッとした。訊いてみてよかった。 ⇒ cf. ◆前泊博盛 監修 『本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知っていること 沖縄・米軍基地観光ガイド』(書籍情報社)2011 ツイッターで知った本。オールカラーの350頁で、なんと1,300円! 掘り出し物。 ◆E・ハーバート・ノーマン/大窪愿二 訳 『忘れられた思想家 安藤昌益のこと 上』(岩波新書)1950-2008 23刷 ◆E・ハーバート・ノーマン/大窪愿二 訳 『忘れられた思想家 安藤昌益のこと 下』(岩波新書)1950-2008 21刷 山内さんの『こども東北学』や、外岡氏の『震災と原発 国家の過ち』に出てくる、東北の生んだ稀代の思想家・安藤昌益。彼を再発見したカナダ人研究者によって、なんと60年以上も前に書かれた本。旧漢字のオンパレードで読みにくいことこの上ないが、すこぶる面白そうではある。 ◆井上治代 『より良く死ぬ日のために』(理論社)2010 「よりみちパン!セ」シリーズの一冊。版元はイース・プレスに移ったが、これは理論社版のほう。主として仏教における死生観と葬送の疑問を取り上げ、一つの解釈(答えではない)を示すもの。 ◆内澤旬子 『飼い喰い 三匹の豚とわたし』(岩波書店)2012 『世界』連載の「問題作」がようやく単行本に。 図書館で借りて読んだもの。 ◆赤坂憲雄・小熊英二・山内明美 『「東北」再生』(イースト・プレス)2011 図書館からは月に10冊ほどは借りてくる。すべて読み切れるわけじゃないが、なかでも震災を受けて企画された、公開の場での鼎談をまとめたこの本は出色のもの。早く読んでおくべきだったと後悔。 ■
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by dra-wkw
| 2012-02-29 22:43
| 日常
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罰当たりの薄情者と謗られるだろうが、42年目にもなると、その日が過ぎ去ってから、ああそうだったのだと気づくこともある。
1月12日は父の祥月命日だった。 あの日の記憶として残るのは、雪の降り積もった病院の、離れのようにつくられていた霊安室で迎えた朝の奇妙なまでの静けさ。2歳下の妹の、烈しく慟哭していた姿もよみがえる。 当時十代の、少年のわたしが、親の一人が消えてなくなるということの意味をどれだけわが身で自覚できていたか。今思えば、実に心許無いものだったというしかない。 春になったら、墓参することにしよう、 南無――。 買ったのは4冊。 ![]() ◆柳 美里 『ピョンヤンの夏休み わたしが見た「北朝鮮」』(講談社)2011 彼女の熱心な読者というわけではなかったが、ひさびさに新刊を買う。 ◆加藤典洋 『3.11 死に神に突き飛ばされる』(岩波書店)2011 「3.11の死に神」に狙われているのは、老い先短い年配者ではなく、生まれて日の浅い者、これから生まれ出る人々なのだという現実に対する、悲哀と自責。 ◇鶴見俊輔・小田 実 『オリジンから考える』(岩波書店)2011 90歳になる哲学者と、今は亡き稀有の活動家との架空対話を収める、不思議な本。 ◆高木仁三郎 『原発事故はなぜくりかえすのか』(岩波新書)2000 12刷 先駆者は常に孤独。そして、生き急ぐことを強いられるのか。 ■
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by dra-wkw
| 2012-01-15 22:51
| 日常
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