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「進工舍」とは
1970年に“点鬼簿”入りした舎主の実父が、生前経営していた家業の屋号。
戦前につくられた木造二階建て家屋を改装して、50年代前半に創業。事業の最盛期には、本業とはまったく無縁の、名も無き「アナキスト」の活動拠点としても、多くの人間が出入りしていた。 両親没後は、曲折をへて住む人もないまま放置されていたが、今世紀に入って解体・撤去されついに消失。 このブログは、今はないこの舎(やど)を通り過ぎた人びとを偲びつつ、「新たなアナキズム」の可能性について、極私的につづるもの。 (なお、「舎」ではなく「舍」が正式名称) (最新記事の表示は、ページトップのブログタイトルをクリック) ・進工舍・別館もあります。 ・ana_gon(進工舍の次男坊)(舎主のツイッター) ◇舎主おすすめのサイト ・アナキズムFAQ ・アナキズム図書室 幸徳・大杉・啄木 etc. ・「父」 金子文子 『何が私をこうさせたか』(部分) 青空文庫 ・朴烈義士記念館 朴烈とその妻・金子文子を顕彰する韓国の施設(ハングル表記) ・アナキズム文献センター ・竹中英太郎記念館 「英太郎と労」父子の個人資料館 ・リベラル21 ・声なき声の会 ・マガジン9 ・九条の会 ・侵攻社の少年 カテゴリ
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◆『太陽を盗んだ男』(東宝)
1979年に公開された、147分の長編映画。主演は若き日の沢田研二と菅原文太。数日前にDVDを買って観た 「太陽」とは、プルトニウム型原爆のこと。ちょっと荒唐無稽なところもあるけれど、映画をこよなく愛するのであろう人びとによってつくられた、邦画らしくない出来映えには感心した。とくにエンディング。一見の価値あり。 増えた本は新書と文庫。 ◆たくきよしみつ 『3・11後を生きるきみたちへ 福島からのメッセージ』(岩波ジュニア新書)2012 ◇和田春樹 『北朝鮮現代史』(岩波新書)2012 ◆桜井智恵子 『子どもの声を社会へ 子どもオンブズの挑戦』(岩波新書)2012 ◇ウェルズ/池 央耿 訳 『タイムマシン』(光文社古典新訳文庫)2012 ◆田中信尚 『ルポ 良心と義務 「日の丸・君が代」に抗う人びと』(岩波新書)2012 ▲
by dra-wkw
| 2012-04-30 10:22
| 日常
作家の柳美里(ユウ ミリ)さんが、福島県南相馬市の新成人へ贈ったはなむけの音声メッセージ。とてもすばらしい内容なので、全文を書き起こしました。
(2012年1月8日、南相馬災害FM局(現南相馬ひばりエフエム)にて放送されたものです。文末に音声リンクがあります) 成人おめでとうございます。 (南相馬ひばりエフエム公式サイト。および、柳美里さん本人による朗読音声⇒ ![]() ◆岩波書店 『世界 2012-2月号』特集:民主主義の再興を! ◆渡部良三 『歌集 小さな抵抗 殺戮を拒んだ日本兵』(岩波現代文庫)2011 「生きのびよ獣にならず生きて帰れこの酷きこといい伝うべく」 著者はキリスト教の信仰者で、今年90歳に…。 ▲
by dra-wkw
| 2012-01-11 21:07
| 社会
おとといの土曜日は、(映画館での)今年2本目となる映画を見るために渋谷まで。
3年の歳月を費やして周到に練り上げられた、プロパガンダ臭をまったく感じさせない作品。残念ながらこの国でこんな映画がつくられることは、この先もほとんど期待できないだろう。日本人にかぎらず、地球人なら必見の作品とおもう。けれども、週末の午後だというのに館内には30人ほどのみ…。 画面をみつめながら思い出したのは、だいぶ前にDVDで見た『いのちの食べかた』だった。 上映終了後には『祝の島』の監督・纐纈(はなぶさ)あやさんが登場し、スピーチ。元気そうで何より。 残念ながら『アンダー・コントロール』のダイジェスト映像が"YT"から削除されたので、代わりに、やはり震災前につくられていたというこちらの動画を貼っておこう。 でも現実には、最悪の場合に起こるとされていた事例を、はるかに超える事態が現出したわけだ。 きょうまでに買った本は、雑誌も含め新旧の6冊。 ◆原 武史 『震災と鉄道』(朝日新書)2011 ◇オルテガ・イ・ガゼット/神吉敬三 訳 『大衆の反逆』(ちくま学芸文庫)1995 2008 13刷 ◆カタログハウス 『通販生活 2011 秋冬号』 特集●脱原発時代の暖かい暮らし。 ◆小松隆二 『大正自由人物語 望月桂とその周辺』(岩波書店)1988 ◆鶴見俊輔 『鶴見俊輔語録① 定義集 警句・箴言・定義』(皓星社)2011 ◆鶴見俊輔 『鶴見俊輔語録② この九十年』(皓星社)2011 ▲
by dra-wkw
| 2011-11-28 20:41
| 日常
去年は捏造されたその事件が明らかになってから、そして今年は、被告26名への刑が執行されてからちょうど100年となる(第一の)「大逆事件」(幸徳事件)。一部の雑誌や単行本にはそれなりに取り上げられたものの、新聞やTVで目にすることはほとんどなかった。と思っていたら、昨年の夏と今年の2月とに2本のドキュメンタリーが放映されていたことを、つい最近知った。
MBS毎日放送制作の「映像’11」は、残念ながら予告編のようなごく短いものしか公開されていないが、ETV特集で去年放送された『埋もれた声 ~大逆事件から100年~』は、アップされていた映像をかろうじて全編見ることができた。 ⇒(消されないうちにこちらで…) 事件から一世紀が過ぎて、ようやくこの程度までは語られるようになったということなのか。しかし、この番組のなかでも、刑法の旧規定である「大逆罪」そのものが、あきらかに人権をないがしろにする条文であったという観点から語られているわけではない。メディアの天皇制に対する意気地のなさは、依然として際立っているということか。 とはいえ、NHKがよくぞ大逆事件をテーマにして番組をつくり、放送したという事実は素直に評価すべきことかもしれない。 言葉の正しい意味での“確信犯”といえる、難波大助の企てた虎ノ門事件を別格とすれば、今日、第三の大逆事件とされる「朴烈・文子事件」は、よくよく考えれば事件ですらなかったといっても過言ではなかろう。震災下の流言蜚語に伴う“集団ヒステリー”によって発生した、朝鮮人などを標的とした大量虐殺事件の野蛮性を隠蔽するために、ふたりは格好のスケープゴートにされたというのが、今では定説である。 現代のメディアが、その朴烈と金子文子のことを、真の人権活動家であったとして遇する日は、いったいいつのことになるのか。 この2週間で買ったものは4冊。 ◆岩波書店 『世界 11月号』特集:再生可能エネルギー――普及への条件 ◇申 京淑(シン ギョンスク)/安 宇植(アン ウシク) 訳 『母をお願い』(集英社文庫)2011 ◆アルンダティ・ロイ/本橋哲也 訳 『帝国を壊すために 戦争と正義をめぐるエッセイ』(岩波新書)2003 ◆日韓「女性」共同歴史教材編纂委員会 編 『ジェンダーの視点からみる 日韓近現代史』(梨の木舎)2005 Sさん、コピーご送付に感謝します。さっそく入手しました。 ▲
by dra-wkw
| 2011-10-17 20:49
| アナキズム
◆萩原吉弘 監督 『炭鉱(ヤマ)に生きる』(モンタージュ:紀伊國屋書店)2004年制作‐70分
![]() 筑豊炭鉱の元坑夫だった山本さんが、炭鉱閉山後、晩年になってから絵筆を執り、丹念に描いた明治・大正・昭和の三代にまたがるヤマの真実のすがた。44年前に刊行された著書の初版本を、1年余り前に偶然見つけて手に入れてはいたのだけれど、山本さんの作品を原案にしたドキュメンタリー映画がつくられていたとは知らなかった。 その映画が、こんどの快挙を受けて“再発見”され、DVDになるというのでさっそく予約。それがようやく、でも発売日のちょうどその日に届いた。 世界記憶遺産への登録が決定してから、あわててつくられたTVドキュメンタリーなどとは違い、炭鉱で働いていた人びとと同じ地平に立って撮られた映像の数々は、なぜかなつかしく、また美しいものとして観る側に迫ってくる。二胡の奏でる音楽や、語り手である小沢昭一の口調の温かみも心地よい。 かつて上野英信が『追われゆく坑夫たち』で描いた、悲惨きわまりなく、絶望の果てにあるかのような“労働者”像とは異なる風景が、この映画には表現されている。山本さんの絵のタッチとも相まって、遠い過去の出来事はいつか美化され、郷愁を誘うものになりがちだが、記録映像と元炭鉱夫たちの証言は、その時代に炭鉱で生きるということの本当の意味を、石炭を見たことさえない現代人にも教えてくれるように思う。 炭鉱には付きものの、ボタ山。その“ボタ”には、「硬」の字が当てられるという。何か、地の底から石炭を掘り出すことの困難さを象徴しているようでもあり、感じ入った。 この映画も作兵衛さんの画文とともに、記憶遺産としての価値を有している、と思う。 そのほか、新旧の文庫や新書などを。 ◇林 京子 『無きが如き』(講談社文芸文庫)1989 ◆徐 京植(ソ キョンシク) 『評論集 植民地主義の暴力 「ことばの檻」から』(高文研)2010 ◆飛鳥井雅道 編 『大杉栄評論集』(岩波文庫)1996 2冊目 ◆仲正昌樹 『今こそアーレントを読み直す』(講談社現代新書)2009 ◆荻原魚雷 『本と怠け者』(ちくま文庫)2011 ◆瀬戸内寂聴 編 『the 寂聴 特集「美は乱調にあり」復刊!』(角川学芸出版)2010 ある方が教えてくれたもの。たまたまB堂で発見。つい最近の発行かと思ったら1年以上前に出た本だった。でも、『青鞜』発刊から百年となる今年に読むのがタイムリーかも。 ▲
by dra-wkw
| 2011-10-01 18:37
| 社会
◆『祝の島』(ポレポレタイムス社) 2010年公開
![]() これは傑作だ。監督デビュー作とはとても思えない完成度の高さ。なにより「絵」が美しい。声高なプロパガンダ臭などは少しも感じさせない。 画面には、愛用のカメラを構えたあの福島菊次郎さんの姿も、ほんの一瞬だがとらえられている。 大震災、そして「フクシマ事故」の起こるかなり前に撮られた映画だが、原子力技術に象徴されるような、現代文明というものの不確かさと嘘くささを、今さらながらに教えてくれる。 わがふるさと福島の行く末は、いまだに見えてこない。だから、この「いのちの島」に暮らす人びとの営みを、乱すことが許される人間などこの国にいるはずはない。考えてみれば、祝島(いわいしま)にかぎらず、ここは国のすべてが島なのだ。 これ以外に買ったのは、新旧の3冊。 ◆大野更紗 『困ってるひと』(ポプラ社)2011 ◇添田知道 『演歌の明治大正史』(岩波新書)1963 ◆七沢 潔 『原発事故を問う チェルノブイリから,もんじゅへ』(岩波新書)1996 ▲
by dra-wkw
| 2011-06-21 22:18
| 社会
きょう届いたのは、「日本の古本屋」経由で沖縄から、金子文子関連の1冊。掲載写真に興味があったので購入。
◆瀬戸内晴美 編 『人物近代女性史 女の一生⑥ 反逆の女のロマン』(講談社)1981 それから、震災から3ヵ月目の日に開かれた「非核の政府を求める兵庫の会 市民学習会」での、小出裕章氏と映画監督の纐纈(はなぶさ)あやさんによる講演映像(始まりから5分弱は無音です)を転載しておこう。 2時間半を超える長丁場だが、質疑応答も含め、今この時にこそ必見の内容。特に、最後の纐纈監督のスピーチがすばらしい。映画、『祝の島』(監督デビュー作)公式サイトにも注目。 ※ 追記 2012年4月、東京の青山学院講堂で行われた、やはり小出さんの講演(主催:クレヨンハウス)の記録映像も貼っておきます。 ▲
by dra-wkw
| 2011-06-13 22:01
| 社会
◆岩波書店 『世界 7月号』東日本大震災・原発災害 特集:破局はなぜ防げなかったのか
![]() けれど、制作局のつくったこの番組は、本家の報道局ではスクープとしての価値を無視してしまったという。結果的に、避難所でありながら、この高濃度汚染地の存在が、当時、ニュースとして報道されることはなかった。どうもNHK内部でのメンツ争いがあったらしい。 危険地帯での取材は、「政府の指示に従うことが原則」だとする報道局と、ゲリラ的取材により、ときには報道の領分を侵してスクープをものにする制作局のETV特集チーム。両者の間にはそれなりの確執も生まれよう。NHK局内にも“汚染地帯”があるということか。 そういえば、福島第一での爆発直後、避難指示区域に入って映像を撮ってきたという森達也監督。でもそのテープは、どの局も買ってくれなかったと言っていたっけ。 ほかには文庫を2冊。 ◆内澤旬子 『世界屠畜紀行』(角川文庫)2011 ◆吉野源三郎 『人間を信じる』(岩波現代文庫)2011 ▲
by dra-wkw
| 2011-06-12 18:18
| 日常
ちかごろは、小惑星「イトカワ」の微粒子にも満たないような、肝っ玉のちっちゃい小粒なニンゲンばかり。セイジカも学者も企業人もメディア人も思想家も。かろうじて生きのびたにんげんを置きざりにして、カネと既得権を奪い合い、飽食に耽る「公人」たち。すべての人間の営みを、利害関係でしか図れない集団のみにくさよ。シンデナオラヌバカモイル…。
同じ時代、同じクニに生きているのが恥ずかしくなるような御仁ばかり。 で、先月前半の“さえずり”を抄録。最後には、若き日の「小出助教」も登場。 【震災前より立派な町をつくる必要などないのです。被災者が何とか生きていけて、亡くなる時に、「人間の社会って悪くないな」と思えるようにするのが本来の復興です。】(野田正彰教授:『毎日』) 川村湊著『FOR BEGINNERS 満洲国』(現代書館)を読む。キメラ的傀儡帝国⇒「王道楽土(選民思想)」(侵略+棄民政策)⇒石原莞爾⇒甘粕・満映…⇒⇒上九一色村!……という展開が新鮮。いまもそのパロディはいたるところに、か。 事件は多ければ多いほど、ショッキングであればあるほど歓迎される。虚業家にとっては、震災も津波もゲンパツ爆発も政治もテロもボランティアもひとごろしも、そして戦争も平和も、すべてがネタあつかい。 核技術者は、猛獣使いに等しいエクスタシーを味わえる。手にする「玩具」が獰猛で危険なほど、御しえたときの快楽は深かろう。だが、扱い損ねてかみ殺されるのはアンタの勝手。こちとらアブナイ道楽に巻き込まれるのはまっぴら。 裁判なんて悠長なことは不要。やつに決まっている。問答無用。ひとを殺したやつはとにかく殺せ! か…。人間の狂気の無限ループ。愚かさはどっちも等価。この星の上に法治国家なんてあるのか? 人間に生まれてきたことが恥ずかしくなる事件ばかり。 自称、民主主義大国による暗殺作戦。殺人犯にも、大泥棒にも、テロリストにも、軍人にも、大統領にも、そして「聖人」にも、たいてい家族(妻子)がいる。普通の市民にはむろん。だが、現代は想像力を失った狂人どもが跳梁するばかり。 政治を正義や善悪の尺度で測るべきではない。政治家は所詮利害の調整者でしかない。だから、宗教の理念はともかくとして、価値観をそこに持ち込ませてはならない。政治によって蹂躙された殉教者は、決して白旗を掲げない。遺された者の血潮を沸騰させるだけ。 政治組織にとって、宗教集団を支持基盤に持つことは一長一短がある。だが、絶対の価値観を標榜する善男善女を運動に引き込めれば、これほど心強い存在もない。殉教と思考停止は表裏一体。一種の催眠商法に近い。善悪にかかわらず、アル・カイダ擬はいたるところにいる。 吉岡 斉著『原発と日本の未来』(岩波ブックレット)を読む。冷静・明快な筆致。そして安い。著者は元内閣府原子力委専門委員。反原発・脱原発ではないとする立場での執筆。今年2月の発行。4月に2刷。国策の誤りと、原発が温暖化対策とは無縁であることを明言。 ココは動物園。ただし檻に鍵はない。暮らしているのはほとんどがネズミと豚。えさは与えられず、日中にネズミが外に出かけ、どっかから仕入れてくる。監視役は犬。どういうわけか、犬もネズミの仕入れた餌を掠め取って暮らしている。 アナキズムを無政府主義と呼ぶのは正確でない。無権力主義、または絶対自由主義というのが正しい。左翼でも右翼でもなく、いわば無翼。往年のアナキストの主な資金調達法は「掠(リャク)」。大杉栄が、巨魁・後藤新平から掠め取ったのもそう。だが、後藤はすべてを承知の上で「援助」した。 90年前、金子文子は、三越百貨店からリャクっていた。誇り高き大杉も文子も、権力に尻尾を振って莫大な国家予算にしゃぶりつく、現代のゲンパツ寄生虫のようには落ちぶれていなかった。近頃は「国家モドキ」に喰らいついてる連中も大勢いる。 作り手が誠意を尽くした、どんなに新鮮で味のいい食物であっても、放射能に汚染されていれば食うことはかなわない。生肉を食べて食中毒になるのとはわけが違う。放射能は、うまさや新鮮さを奪うわけではない。生産者の真心をあざ笑う姿なき悪魔なのだ。 これから子どもをもうけたり、あと20年以上長生きしようと考えたりするのでなければ、いわれているほど放射能にびくびくする必要はない。でも、この焦燥感は、「風評」のせいではない。己の五感が否定されているという苛立ちだ。 五十路もあと少しだけになれば、さほど命が惜しいとは思わない。死んだ親父の年もとうに越えたし。放射能まみれとなった故郷の行く末を見届けることはかなうまい。海沿いの国道6号線を宮城まで北上することももう無理だろう。25年経ったかの地もいまだに危険地帯なのだから。 ハイジャックして突っ込むなんて大掛かりなことはしなくてもいい。世界中のゲンパツの冷却用電源系統をカットするだけで、全面核戦争を引き起こせるという簡単なアイディア。核力発電所が軍事基地の火薬庫と化す日……。 ゲンパツや放射能汚染をネタにして、シニカルなギャグモドキを連発するオロカモノの気が知れない。 ローマ字表記するとき、「シ」= si か? それとも shi か? dhi が「ディ」だから、shi は「シィ」だろう。したがって、自分のなかでは si が正解。同様に、「つ」は、tsu じゃなく、tu と書きたい。ヘボン式表記は好きじゃない。 この先ニッポンだけじゃなく、世界中で多くの原子炉は寿命を迎え、いやでも廃炉期に入る。脱原子力で行くとしても、廃炉のための膨大な費用と100年単位の年月が必要になる。何の利も生まないとてつもなく虚しい仕事だがやらざるをえない。 人類の文明史なんてせいぜい20万年。それなのに、高レベル放射性廃棄物の要監視期間は100万年!(小出裕章氏)。これからはゲンパツ建設ではなく、廃炉解体後の廃棄物処分をめぐる大騒動が始まる…。 哺乳動物のなかで、裸のままで生まれてくるのは人間だけ。それは生命にとって進化の必然なのか。生きるために不可欠な、衣服をはじめとした付帯条件は、“社会的”差別の温床でもある。正常進化から逸脱した突然変異が「ヒト」なのか。 猫にしても犬にしても猿にしても鼠にしても、生まれながらに衣服を着てこの世に出てくる動物のほうが、実は、人間より進化した動物なのかもしれない。資源をむだに浪費したり、財産を蓄えたりもしないし。 「病篤き丞相」を、骨までしゃぶりつくすパラサイトども。すべてを一旦リセットし、再起動させたい体制はいたるところに存在する。成住壊空はいのちの理なれど……。 ことさらに「平成巡幸」を賛嘆する、時代錯誤の能天気野郎。いまどき天皇制に親和的な人間ほど、じつは民衆ぎらいで、大の権力志向。ダンナ、腹の内はとっくにばれてますぜ。 新緑の候/糸引くごとく降りしきる雨はよし/が、ことしにかぎっては/すこぶる気が滅入る天の気まぐれと/無粋な、あまりに無粋な罰当たりの所業のゆえに 月刊某誌。ほとんど政府御用達のスポークスマン先生登場。疑心暗鬼でくよくよするよりも、大丈夫と信じて思考停止でいるほうが身体にはいいってことか。どうせいつかみんな死んでいくんだからね。 権威や権力、そしてカネには、たいていのニッポン人はなびくんだよな。みんな生活があるし。心意気やプライドを持ってるのは、いまやテロリストだけかも…。 電力不足ってよくいうけど、顧客の契約アンペア総量を電力会社は管理してないのか? 客が電気を使いすぎたら自動的にそこのブレーカーが落ちる仕組みなんだろ? 発電量に見合うアンペア数だけ契約しておけば、大規模停電なんて起こりっこないじゃないか。 「日本の発電電力量のピークは2007年。最終エネルギー消費量のピークは2000年。つまり日本は、とっくに「エネルギー消費減少社会」に突入しているのだ(趣旨)」(『現代思想』5月号 p.86 吉岡 斉氏)電力不足の大合唱に騙されちゃならない。 核爆弾は大量破壊兵器。「原発はいわば『大量破壊技術』」(吉岡 斉氏『現代思想』5月号)。このお方、元内閣府原子力委員会専門委員だった人。 ビジネスを絶対的に成功させるには、その商品を手にした顧客は必ず幸せになると信じさせればよい。そのためには絶対の権威(≒信仰)を利用するのが手っ取り早い。商品の品質や価格は問題ではない。やがては客がすすんで営業活動までしてくれる。死ぬまで(死後も)信じきれればみんながシアワセ。 ホントにダメなのは政治家(政党)じゃない。彼らの生殺与奪権を握っているムラの連中だ。ホシを誤ってはならない。砂糖に群がる蟻を駆逐するには、目覚めた「地涌人」が砂糖を片付け塩をまくしかない。 震災がかの地で起こり、故郷・福島が核汚染の標的になったということは、その代償の大きさはともかくとして、この国にはまだチャンスが残されたといえるかもしれない。浜岡が福島に取って代わっていたら、中部や関東や東京がどうなっていたかを思うと。 さきにゆきしひとの言葉。作家・星野智幸。「残される」という残酷。 文庫2冊購入、1冊読了。 ◆太宰 治 『もの思う葦』(新潮文庫) ◆NHK「東海村臨界事故」取材班 『朽ちていった命 被曝治療83日間の記録』(新潮文庫)2006 いかにもNHK的な「ドキュメント」の記録。番組自体は事故がすべて終わったあとに作られたものであり、関係者へのインタヴューを中心に構成。そのためか、映像より活字のほうが迫心性に富む。…でも、この事故の教訓が生かされているとはまったくいえない。 映像はここで発見。 消されぬうちに、こちらも必見。『牛乳が飲みたい』1988年制作。若き小出裕章氏の勇姿も。 ▲
by dra-wkw
| 2011-06-02 12:57
| ツイート再録
10年前、自他共に認める世界一の大国の、目を疑うような巨大ビル連続崩壊で始まった“希望の”21世紀。その後の報復戦争と更なるテロの応酬という愚行。あげく、その大国が、法治国家であることもかなぐり捨て、他国の主権を侵してまで、問答無用の“私刑”を断行した。やはり彼も、所詮は冷徹な一神教徒の大統領だったのかもしれない。
そして、一方のこの国では、前代未聞の核力発電所多重爆発という惨状に覆われ、生活のすべてを、文字通り根こそぎに奪われて、流浪の途に追い立てられた人びとがいる。 現代人は、やはり方向を間違えて歩いてきてしまったのか。小さくとも希望の光を点し続けてきた人はいたのだが、だれもそれに耳を貸さなかった。ようやく愚かさに気づいたとしても、はたして今からでも間に合うのか。 けれど、どんなに絶望的な状況ではあっても、新たな道を探すことから始めるしかない。 ◆小出裕章 『隠される原子力・核の真実 原子力の専門家が原発に反対するわけ』(創史社)2010 ![]() 核の平和利用などというものが、いかにまやかしにすぎないかが理解できる。今このときのためにつくられたような、読む者の生きかた・哲学を問う本でもある。人間よ、足るを知れ、と。 ▲
by dra-wkw
| 2011-05-17 22:37
| 社会
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